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仏教には、一体何が教えられているのでしょうか。
お釈迦さまが仏教を説かれたのは、2500年以上も昔のインド。
ここは、はるかに科学の発展した現代の日本。
私たちは、一体何を学ぶことができるのでしょうか。
特に日本の科学や経済は、持ちまえの勤勉さと努力によって急速に発展し、いまだかつてない豊かな世の中です。
ですが、科学や経済が発展して、あなたは心から幸せになれたでしょうか?
驚くべきことに、20世紀は、
「科学では幸せになれないことを証明した世紀」
といわれます。
逆に昔よりも、むなしさや寂しさ、ストレスを感じ、恐ろしい犯罪や自殺も増えているくらいなのです。
なぜ、便利で豊かな生活に恵まれながら、私たちは、心からの安心も満足もないのでしょうか。
実は、この問題に2500年以上も前に取り組まれたのが、仏教を説かれたお釈迦さまだったのです。
お釈迦さまは、王様の太子として生まれ、幼少はシッタルタといわれました。
文武ともに抜群で、国いちばんの美女と結婚し、何一つ不自由はありませんでしたが、シッタルタ太子の心は少しも晴れませんでした。
それは、健康、財産、地位、名誉、妻子、才能などに恵まれていても、やがてすべてに見捨てられる時が来る。どんな幸福も老いと病と死によって、崩れ去っていく現実を知られたお釈迦さまは、真実の幸福を求めずにおれなくなったのです。
29歳のある日、太子は夜中ひそかに城を抜け出し、山奥深く入られ、私たちの想像もできない厳しい修行を6年間されました。
そしてついに、35才の12月8日、大宇宙の最高のさとりである、「仏」のさとりを開かれ、すべての人が本当の幸福になれる真理を体得されたのです。
それから80才でお亡くなりになるまでの45年間、お釈迦さまは、
すべての人が本当の幸福になれる道一つ
を説き続けていかれました。
その教えを、今日仏教といわれるのです。
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なぜ人は老いの苦しみと戦って生き続けるのか?
カピラ城に太子として生まれられたお釈迦様が
出家される動機になったエピソードに
『四門出遊』という話があります。
ーーーーーーーー
太子が東の門を出ると、
活気づいた町並みが広がっている。
町を見渡していたとき、
太子の目にとまったのが老人であった。
その時、太子は思った。
「哀れな・・・
老いるということは、
腰が曲がり、
歯は抜け、
歩くこともままならず、
邪魔者扱いされてしまう
自由に飛び回りたいのに、
老いた身体という牢獄に閉じ込められ、
自由を奪われている。
今、若きを楽しむ私にも
必ず年老いる未来が来る。
私は衰える体を持ち、
苦しみ生きていかねばならぬのか」
ーーーーーーーーーー
釈尊はこの老苦を超える道は人生にないのか、
悩まれるようになります。
■今日でも
「アンチエイジング」といい、
書店には美肌を保つマッサージ法を
紹介する本が並びます。
せっせとエステに通い、
スポーツジムやエアロビクスで体力作り、
『脳を鍛える大人の計算ドリル』
『ボケない脳をつくる』など、
脳を活性化させる宣伝も多いですね。
■お金や時間をかけて
必死に「老苦」と戦ってはいますが、
考えてみれば、
長期戦に持ち込むことはできても
勝利はありえません。
「生きる」とは、20歳を越えれば、
老いに向かっての堅実な行進だ。
速度をゆるめようと必死だが、時間の問題です。
■なぜ人は老いの苦しみと戦って生き続けるのか、
ほとんどの人が目をそむける、
この根本の問いに
お釈迦様は真正面から挑まれたのです。
(続く...)
何で親の言うことは聞かなければならないの?
「なんで親の言うことが聞けないの(`A´) 」
このページを見てくださっている方の中にも
(それ、親に言われたなぁ、)
と心当たりある方もおられるのでは?(笑)
あるいは、あー、子供に言ってしまったことあるなぁ、という方も。
私もしょっちゅう言わせてきました( _ _ )
これ、親が子供に言う台詞ベスト10にランクインするのではないでしょうか。
「何で親の言うことが聞けないの!」
そのとき子供はこう言い返す
「何で親の言うことは聞かなければならないの?」
たしかになぜ「親」の言うことは
聞かねばならないのだろう?
70億人あれば
いろいろな主義主張はあります。
ネオナチやKKKなどの危険思想の団体などもあったりして、
決して盲目的に人のいうことを鵜呑みにしてはならない
人の主張は、正しいかどうか、よく検証すべきだ、
というのが常識なのに、
なぜ「親だから」の一言で
聞かねばならぬ
と強要されるのか?
親が絶対に間違いを犯さないなら
従うべきですが、
そうでない例は
いくらでも周りにあります。
そうなると、
「何で親の言うことは聞かなければならないの?」
と言う質問は理にかなった、
論理的にいっても
筋の通った質問になってしまってます。
特に親を尊敬できない場合、
そう思う子供もあるでしょう。
だから子供は言う。
「何で親の言うことは聞かなければならないの?」
しかし実の子供に
これを言われると、
親はカチンときます。
そのとき、頭に血が上って
言う台詞がこれだ。
「お前、誰のおかげでここまで大きくなったと思っているんだ!!」
これも親が子供に言う台詞
ベスト10に入るのでは?
「お前をここまで大きくするのにどれだけ苦労したと思っているんだ」
と、ここまで育ててきた恩を強調する。
そう言って十分すぎるほど、
子供のために親は
経済的にも精神的にも
苦労を重ねてきたから、
そう口に出るのも当然です。
ところが子供からしたら、
「誰が大きくしてくれと頼んだ?
別にこの世に生まれてきたくなかったんだ。
勝手に生んでおきながら、
苦労しただの大変だっただのと
恩着せがましく言いやがる」
もちろんここまで言ったら
親不孝極まると子供も知っていますから
言わないです。
言わないけれども、
のどまで出かかっている
心の中では叫んでいる。
それが言えないもどかしさや憤りが
「うるさい」と怒鳴ってみたり、
机を蹴っ飛ばしてみたりすることになるんです
「何のために生まれてきたんだろう」
「こんな苦しいなら死んだほうがましだ」
「さっさと生きてさっさと死にたい」
この世に存在していることに
喜びも感謝もない子供を前に
親が子供をこの世に送り出し
ここまで成長するまでの苦労を
どれだけ訴えても
空回りするだけではないでしょうか。
「あなたは生まれてきたことへの感謝がありますか?」
「生きてきてよかったという歓喜が胸にありますか?」
孝行の根拠は、この問いの回答、
実にこの一点にかかっています。
(続く...)
10年先と聞くと、ずっと先のように思うかもしれませんが・・・
数年前にも、未公開写真が公開され、また物議をかもしたことがありました。
私はあの事件の際、ちょうどロサンゼルスのホテルにいて、
朝起きてテレビつけると
マンハッタンのビルが燃えている画面でした。
最初は何かの映画だと思い、
シャワー浴びて戻ってくると、
まだその画面、
「なんだ、変な映画だなあ。」
とよくよく見てみると、
「LIVE」と表示がある!
「生中継?ホンモノ、これ?」
と、ここに至って始めて
事態を把握したわけです。
その後は出国するのに一苦労で
一週間近くホテルで足止めをされた挙句、
機関銃を肩にかけた、ものものしい米軍監視の中、
出国ゲートをくぐったのです
あれから世界は、イラク戦争、フセイン政権崩壊、と進んでいきました。
■当時の日本ではその年にはざっとこんなことがありました。
▼フジテレビ系ドラマ『HERO』大ヒット
▼ハワイ沖で実習船「えひめ丸」が、米原子力潜水艦に衝突され沈没。
▼小泉純一郎が第87代首相に就任
▼7月公開映画『千と千尋の神隠し』興行収入1位
▼ポルノグラフィティ『アゲハ蝶』、桑田佳祐『白い恋人達』、
ウルフルズ『明日があるさ』
▼マリナーズのイチロー外野手が大リーグで日本人初のMVPを獲得
どうです?
■10年一昔、といわれますが、
人によっては、同時多発テロは歴史の教科書の話なのかもしれません。
知り合いの年配の方が生前、満州での引き揚げ体験を語ってくれ、
最後決まったように「ついこないだのようだ。」とつぶやくのですが、
そのときはよくわからなかったことが、
今はわかる気がします。
60年前のことでも、「あっという間だった」
との感慨を持つものなのでしょう。
■過ぎ去った10年間はあっという間に感じるのですが、
これからの10年間はまだまだずっと先のように感じられませんか。
さあ、あなたの今の歳に10歳、足してみましょう(^-^)
イメージしてください、
そのころ、あなたは何をされているでしょう?
▼顔のしわや体型はどうなっているでしょう。
▼会社ではどんな役職でしょう。
▼子供さんはいくつになりますか。
10年先と聞くと、ずっと先のように思うかもしれませんが、
過ぎ去った10年間はアッという間だったんですから、
これからの10年間もアッという間に訪れます。
すぐに現実にその歳がやってきます。
平均寿命80年、といったところで
【アッという間の10年間】×【数回】です。
アッ、アッ、アッ、アッ、・・・と何回か重ねれば
すぐその歳です。
「それ人間の浮生なる相を
つらつら観ずるに
おおよそはかなきことは、
この世の始中終
幻のごとくなる一期なり」
「白骨の章」が
我が身に迫ってきます。
私って何だろう?
法鏡とは仏教の言葉です。
『法』とは中国の言葉ですが、
お釈迦様はインドの方ですから
サンスクリット語では『ダルマ』
日本の言葉では『真実』
ということです。
ありのままの自己の姿を映す鏡ということです。
お釈迦様が35歳で仏の悟りを開かれてから
80歳2月15日なくなられるまで45年間あります。
この45年間の釈迦の説法は書き残されており、
これを一切経といいます。
私達が普段、お経と呼んでいるもので、葬式などに読まれますね。
全部で7千余巻という膨大な数にのぼります。
釈尊のご臨終に弟子の一人が尋ねました。
「世尊、45年間、お説きくだされた、この教えを一言で表したら
なんとお呼びしたらよろしいでしょうか。」
釈迦45年、7000冊の一切経の教えを一言で表せ
という問いに、釈尊は
「汝らに法鏡を授けるであろう」
(仏教は法鏡なり)
(お前達の本当の姿を映す鏡だぞ)
と仰ったのです。
仏教を聞くということは
ありのままの自己を映す鏡を見るということになります。
■「よもすがら
仏の道に
入りぬれば
我が心にぞ
たずね入りぬる」
(源信僧都)
平安時代の高僧、
源信僧都のお歌です。
「よもすがら」とは、夜どおしの意。
十三歳にして出家し、
比叡山天台宗の僧となられた源信僧都は、
ひたすらに仏の道を求められた。
すると見えてきたものは、不可解な「我が心」、
自己の本心であった、
と言われているのもこのことです。
「ソフィーの世界」という
ファンタジー小説、ご存知でしょうか。
世界的ベストセラーになり、
映画化もされました。
ヨースタイン・ゴルデルという、
ノルウェーの哲学教師が
青少年に哲学に関心を持ってもらいたい
と書いた本なので、
内容は、哲学の入門書みたいです。
来日した際に、テレビの企画で広末涼子と対談しまして、
その際、
「これは西洋の哲学のことを書いた本です。
日本に若い皆さんには東洋の哲学、仏教を学んでほしいと思います。」
とコメントしていたのが心に残ってます。
日本語や漢文が読めなければ、読めない仏教書がたくさんあります。
それを西欧の思想界はうらやましく思っているのです。
日本人がこの特権をもっと使って世界に還元すればいいのに、
と思うのは当然だと思います。
その『ソフィーの世界』の冒頭に
こんな場面があります。
ソフィーという女の子の下に、
ある哲学者から一通の手紙が届く。
便箋にあったのは一行だけの文面
「あなたは誰?」
「何よ、失礼な手紙(`ε´)私はソフィー・アムンセンよ。」
ん?でも、待って。
よく考えてみると、ソフィー・アムンセンとは
私の名前であって
“私”ではないわ。
・・こんな書き出しでした。
あなたは誰?と聞かれたら、
通常は名刺でも差し出して、
「私は○○物産××部△△課長の■■と申します」
とかやる。
相手も
「あっ、○○物産の課長さんでありましたか(汗)」
という反応だ。
しかし、それは私の肩書き。
「私」ではない。
クラス写真見せて
「これ、わたしわたし~(^^)」
と言いますが、それは私の顔。
やはり「私」ではない。
じゃあ、私って何だろう?
これは私の手、
これは私の足、
私の顔、私の肩書き、私の思い出・・・
「私」はどこ?
素朴な疑問にかられたソフィーは、
その得体の知れない送り主に、
返事を送ってみようと決心する。
そこから物語が展開されていきます。
哲学発祥の地アテネの知の殿堂、デルフォイ神殿にも
「汝自身を知れ」
と彫られている。
常に哲学の出発点は
己とは何か
にあります
いや、哲学だけではない
医学も、心理学も、文学も、物理学も、生物学も、経済学も
あらゆる学問はこの問いに答えんと目指しているといえましょう。
「仏道を習うというは自己を習うなり」
法鏡に映し出された『真実の自己』とは何か、
学んでみられませんか。
(続く...)
「信ずる」のは、「疑いがあるから」?
仏教に『信疑一如』という言葉があります。
【信ずる】と【疑う】ということは、一つの如し、
という意味です。
普通は、【信ずる】と【疑う】は、
対句と思われているでしょう。
「私はあなたを信ずる」
と言った場合、
「あなたを疑っていない」
と意思表示しているのですし、
「どうもお前のその言動は疑わしいな。」
といった場合は、
「お前のこと信じられない」
ということでしょう。
しかし、仏教では、
【信ずる】と【疑う】は「一如」と説かれます。
なぜでしょう。
■私達が「信ずる」のは、
「疑いがあるから」です。
「私の夫は男と信ずる」
という奥さんはいないでしょう。
明らかだからです。
時々、栄など歩きますと、
男か女かわからない人が歩いています。
「あれは女だと信じたい。」
こういう発言の裏には、
「ひょっとしたら、男かも」
という疑いがあるからです。
あるいは、
「昨日の天気は晴れだと信ずる」
という人はないでしょう。
今日のことはハッキリしているからです。
「明日の天気は晴れだと信ずる。」
これはよく聞く言葉です。
天気予報では言われてはいても
明日の天気ははっきりしないからです。
あまりにも明らかな時に
私達は知っているといいます。
「今朝の天気は晴れだと知っている。」
「愛知県の県庁所在地は名古屋と知っている。」
疑う余地のないことは、「知っている」です。
■『ロッキー』というボクシングの映画があります。
最強の挑戦者と、老体をむちうって戦うロッキーに
親友アポロが、体をゆさぶって涙ながらに言います。
「おれはお前を信じているぞ!!
お前が勝つことをオレは信じているぞ!!」
と叫びます。
これ、相当疑っているということになりますね。
ボクシング始めたばかりの弱い研修生を相手に
スパーリングする時に、
「お前の勝利を信じているぞ!!」と力みません。
「2ラウンドくらい遊んでやれ」とか、
「自信つけさせてやってくれ」というものでしょう。
「信じている」と力説するのは、
「今回は負けるかもしれない」
という疑いがわきあがってくるのを、
押さえつけようと力んでいる心なのではないでしょうか。
そうなると、「私は神を信じます」というのは、
「神を疑わないように、疑わないように努めています。」
と表明していることになります。
■本当の幸せを獲得したならば
「真に知んぬ」(教行信証)
「今こそ明らかに知られたり」(御文章)
と叫ばずにおれないでしょう。
歎異抄ならば、それを『摂取不捨の利益』と説かれています。
(続く...)
人生を切り開く大事なポイント
『諦める』という言葉があります。
▼オリンピックでメダルを取りたいと子供の時からの夢だった人が
あと一歩及ばず、日本代表の人選からもれて、意気消沈、
あと4年間、気力体力が続くだろうか、と思ったときに、
「もうあきらめよっかな( -.-) 」
と使ったり、
▼あるいはダイエットしようとがんばるものの、
一向に変わる兆しもなく、
むしろ体重が増えてきて、
「もうあきらめたら」と周りの友人にいわれたり。
ユメをあきらめる、目標達成をあきらめる、など、
どことなく、ネガティブな意味に使われます。
スラムダンクの安西先生の数々の名言の中に、
「あきらめたらそこで試合終了ですよ」とありますが、
「あきらめない」姿こそポジティブであり、
すぐあきらめる人は成功できない、消極的な人だと言われます。
■さて、本来は、この「あきらめる」という言葉、仏教由来であるます。
漢字で「諦観」と書き、諦はインドの原語「サットヤ」で
真理、明理ということです。
観はミルということですから
諦観というのは「アキラカニ真理ヲミル」ということなのです。
この「アキラカニミル」の仏語が次第に変化して
「アキラメル」になりました。
ところが言葉がこのように変わっただけならよかったのですが、
その表す意味までが変わってしまったのです。
本来の「諦める」は
【なぜそんな結果になってしまったのか、
その原因を明らかに見なさい】ということです。
先ほどの例でいうなら、
【オリンピックの人選に漏れた】のは結果ですから、
必ず原因があったのです。
その原因を正しく分析し、
その原因克服に努めれば、
結果は変わります。
ですから本来の「あきらめる」とは、
どうしてあと一歩で選ばれなかったのか、
その原因を、ごまかさずに、やつあたりせずに、
しっかり目を向けていく、ということなのです、
あるいは【ダイエットできない】のも結果ですから、
必ず原因があるのです。
たとえば、さしづめ、夜食べるのが遅くなるから、とかですね。
悪い結果が起きている時に、
なぜこうなってしまったのか、
その原因を反省するのは痛みの伴うことですが、
そこから目をそむけずに、八つ当たりせずに、
あきらかにみていこう、というのが
「諦める」という意味ですから、
大変ポジティブな言葉であり、
人生を切り開く大事なポイントを示す言葉です。
さればそれは、反省向上していく、人間らしい精神といえます。
犬は、叩かれたらキャンと鳴いて逃げるだけだが、
人間は、なぜ叩かれたのか、
どうすれば叩かれずに済むのか、考える。
雷が落ちると、
サルはあわててそこから逃げるだけだが、
人間は雷の原因を知り、
避雷するシステムを考え、
雷の脅威を克服する。
なぜそういう結果になったのか、
その原因を探求する、という点において、
他の動物とは桁違いに優れているのが人間で、
万物の霊長たる所以でありましょう。
「なんでおれだけがこんな病気に。。。( _ _ )」
「どうしてこんな目に会わねばならないのか(`3´)」
「なぜ認めてくれないのか(-∩- )」
自分だけが不幸の主役のように思えて、
全てを投げだしてどこかへ
逃げ出したくなることは誰しもあります。
しかし【一切は自分の蒔いたもの】と諦観し、
【蒔かぬタネは生えぬ】とあきらかにみる。
そして原因となっていることを
一つ一つ誠心誠意、
できることから着実に対応してゆけば、
思わぬ道が開けていきます。
そのように人生行路を進めるようになるのが、
『諦観』を学んだ者の姿です。
依存症という言葉があります。
▼一日一回はパチンコせずにおれない「パチンコ依存症」
▼高価な服やバッグを買ってしまう「買い物依存症」
▼食べては吐いて、自己嫌悪を繰り返す「過食症」
▼不特的多数と性的関係に走る「性依存症」
いろいろ聞きます。
それら依存症に共通しているのは、
【わかっちゃいるけどやめられぬ】
ということでしょう。
「わかっちゃいる」とは、
何がわかっているのか?
「これがオレの人生において【本当になすべきこと】ではない」
ということがわかっている、ということです。
「わかっているんだったら止めればいいじゃないか。
わかっているのに、なんでオマエはやってしまうのか(`3´)」
それは「あまりに今が苦しいから」でしょう。
さびしいから、
むなしいから、
やりきれないから、
刹那的でも、救われるなら、と
それらに走ってしまうのでしょう。
幸せな人、満ち足りている人は、
やりません。
新婚ホヤホヤで感激の涙を流している人が、
うれしくてうれしくてしょうがないから、
覚せい剤でも打とう、ということがあるでしょうか(笑)
忘れたいことがあって、
一時的でも息苦しさから逃れたくて、
わかっちゃいるけどやめられず、
手を出してしまうのでしょう。
そして、手を出してしまうと、
それが原因で余計苦しみが増す(;-A-;)
苦しみが依存症を生み、
依存症がまた苦しみを生む
タイガーウッズは性依存症だった、と
一部週刊誌に報じられたことがあります。
マイケルジャクソンも
睡眠薬依存で、
死因も薬物疑惑が大きいですが
名声、お金の飛び交う、華やかな世界の裏は
底知れない空虚感が広がっているような気さえします。
何かでごまかさなくては生きられない、
金や名声では埋められない、
この人間苦悩の根源はどこにあるのか。
そこにこそ、明らかに見なければならない、
諦観していかなければならない最たるものがあります。
その原因を明らかにされたのが釈尊であります。
高校時代、定期試験の一週間前になると、
試験週間なるものがありました。
そのときは部活も早めに終わり、
高校からも、勉強するよういわれます。
ふだんは部活の練習でバテバテで、
家に帰って夕食済ますと、
ひどく眠くなって、宿題もやらずに
ベッドにもぐりこむ日々でしたが、
過酷な部活の練習やっているんだから仕方ない、
と言い訳にしていました。
試験週間は練習疲れもないので、
このときばかりは、と勉強に専念しなければならないのですが、
なぜか試験週間前になると、
部屋の整理を初めてしまうのでした(^_^;)
勉強前にまず机の上だけ片付けようかと始めると、
なぜかベッドの周り、押入れの中までが気になって仕方なくなって
さらに整理を続けてしまう。
よっぽど整理が好きで面白いのか、というと、
普段は部屋の整理をしようという気にもなれないのです。
もう押入れはゴチャゴチャですし( ̄ー ̄;
ラッセルは
「趣味や道楽は、たいていの場合、根本的な幸福の源ではなく、
むしろ現実からの逃避である」と言っています。
当然ながら、部屋の整理は
根本的な幸福の源ではなく、
試験勉強しなければならないという現実からの逃避、でした(泣)
『歓楽尽きて哀情多し』(漢の武帝)
たとえ趣味に没頭し、道楽に夢中になっていても、
やがて終わりが来て、
つまらない現実に逆戻りする。
その寂しく、つまらない、息苦しい現実から
逃れよう、ごまかそうとするのではなく、
そんな苦悩多き人生に染めてしまう元凶を知り、
それを抜き取ってこそ、
安楽無上の人生が開かれるのです。
高松 良行 (たかまつ よしゆき)
1976年 石川県金沢市生まれ
1995年 中京大学法学部入学
在学中法律を学ぶが、法律だけでは本当の幸福になれないと考え始める。
仏教を知り、自由と平等の共存した世界があることを知り、高森顕徹先生のもとで仏教を学ぶ。
2001年4月 浄土真宗親鸞会にて講師となる
2006年1月 ロサンゼルス・サンフランシスコで、1年間講演会、勉強会を開催
2013年6月 愛知県、岐阜県、三重県、静岡県等、東海を中心に、講演会・勉強会を開催中。
趣味・特技は、スポーツ、パソコン、カラオケ、お笑い。
中学高校はバスケットボール部に所属。大のドラゴンズファン。
親しみやすい講師をモットーにしている。
岡本 一志 (おかもと かずし)
1976年 愛媛県生まれ
1994年 東京大学理科一類入学
1996年 東京大学理学部数学科進学在学中、人生の意義を模索するうちに、世の真理は、
数学の世界ではなく仏教にあると思い
1998年、心機一転、東京大学理学部数学科中退して高森顕徹先生のもとで仏教を学ぶ。
全国各地で年間120回以上の勉強会・講演会を開催。
仏教のブの字も知らない人にもわかりやすく解説仏教の教えを紹介するメルマガ「目からウロコの東洋哲学」の発行部数は5000部超と仏教系メルマガで国内最多。
自作の仏教ホームページ仏教の教えを学ぼうは「仏教」で検索 google yahoo 2位(H24年1月現在)とウィキペディアに次ぐ。
独学でカウンセリングや心理学を学び、仏教の教えから不登校の児童やその両親のカウンセリングなどを始め、様々な悩みに対するカウンセリングを行っている。
「誰にも相談できなかったことを相談できて心が救われた」「生きているのが楽になった」「心が平安になった」「毎日を大切に生きようと前向きになった」と
喜びや感謝のメールが絶えない。
ブログhttp://ameblo.jp/oakmonn/
著作に「幸せのタネをまくと、幸せの花が咲く」がある。
菊谷 隆太 (きくたに りゅうた)
アメリカの大学で仏教講座 全国各地で講座を開く
1990年 早稲田大学で心理学を専攻、仏教に人間の心の真実が解明されていると思い、仏教を学ぶ。
1992年 浄土真宗親鸞会にて浄土真宗講師の資格を取得。
1994年~1996年 北海道、九州、広島、島根など、ほぼ全国各地で仏教講座を開く。
1997年 ロサンゼルス日系コミュニティの方の招請を受け、アメリカ西海岸で講演活動。UCLA(カリフォルニア州立大学)で公開講座を開く。
1999年 東京、鎌倉等を中心に講演活動。生涯学習講座などで年間100回以上の講義に立つ。
2009年 今まで話してきた内容を元にブログ、メルマガを配信を始める。
メルマガ読者7000人仏教講師1位、
フェイスブックページは仏教講師1位、
ツイッター20000のフォロー仏教講師1位。
Q1 勉強会に参加するのに、お金はかかりますか?
勉強会はカンパ制になっていますので、終わった後に、箱を回しますから、そこにお気持ちを入れて下さい。
額は特に決まっていません。なので、500円でも1000円でも、自由なお気持ちで大丈夫です。
Q2 何人くらいの人が参加していますか?
場所や曜日によっても変動しますが、最近は、20人から30人の間ということが多いです。
一昨年、勉強会を始めた時は、2人とか3人という事もありましたので、大変有難い事です。
これから、もっと多くの人が聞かれるように、努力、向上してゆきたいと思ってます。
Q3 男性と女性の割合は、どうですか?
これも、日によって違いますが、おおざっぱに言うと5:5でしょうか。
Q4 勉強会の頻度はどれくらいですか?毎回参加しないと話についていけませんか?
勉強会は、だいたい週2回くらいの割合です。
社会人を対象にしているので、毎回参加できる人の方が少ないですね。
続きの内容で話をする事もありますが、基本的に1話完結で話をしていますので、参加できる時に参加して頂いたら大丈夫です。
行こうと思っている時に限って上司に呼び止められたりするものです(汗)
Q5 何を持っていけばいいですか。
持ち物は、ノートと筆記用具があれば、大丈夫です。
Q6 途中入室、途中退出はできますか?
大丈夫です。お仕事の都合などありますから、毎回遅れて参加という方があります。
講師の人や参加者に失礼だからと思われて遠慮される方もありますが、私はわずかな時間でも聞いていただける事の方が嬉しいので、途中からでも参加して下さい。
Q7 個人的に質問したい事がありますが、そのような時間はありますか?
勉強会の休み時間や終わった後に、質問に答える時間を設けています。
あと、勉強会の後、一緒に食事に行ってお話をする事もありますので、遠慮無く、言って頂けたらと思います。
Q8 仏教に対して、今まで勉強した事がなくて、無知なんですが、何か予習して行った方がいいですか。
もし勉強される時間があれば、予習してこられてもいいと思いますが、なかなか時間が取れない人が多いと思います。
また、予習するといっても、どの本を読めばいいのか、本屋に行っても分からないですよね。
全く知識の無い方にも分かる話に心掛けていますので、特に勉強してこられなくても大丈夫です。
「今日はとっても学びの多く、そして楽しい時間を
どうもありがとうございました☆
何故生きなければならないのか…
本当にこれほどまでにシンプルで直球の問いはないと思います。
仏教と言えばお経しかなかったけど、
その考えが180度変わるくらい見方が変わった
また、時間を作って是非参加させて頂きたいと思っていますので、
これからもよろしくお願いします☆」
(20代・女性)
「思うところが色々あり、自分を見直すきっかけは仏教の
教えにあるんじゃないかと…。すーっと身に沁みていく感じがします。
最近人との出会いに振り回されることもあり少々疲れて
いましたが…今日はなんだかテンション上がってしまいました(笑)」
(30代・男性)
「会社の上司と人間関係がうまくいかず、転職も
考えていたのですが、布施の精神を知ってから
心が大分軽くなり、また頑張れそうです。
思い切って参加してみて良かったです。
有難うございました」
(20代・女性)
「稲盛さんの本を読んでから経営者でも
仏教を勉強している人が多いことを知り
いくつか本も読んでみました。
やはり講座で聞くと頭に入りますね。」
(50代・男性)
「なるほど、確かに。」
と口に出そうとするほど、納得しました。
仏教ってすごく自分の心に当てはまります。
一時期、中高生の自殺報道が多い見られましたが、なんかこの話、聞いてほしいです。
世間の端も知らないような小娘が申すようなことではありませんが(笑)
ビジネスセミナーみたいに肩が凝る感じじゃないのでアットホームに楽しく参加できます(=^x^=)
また参加しますね♪
(30代・女性)
勉強会で『一人になったらどうしよう...』、『難しかったらどうしよう...』
と、色んな不安があると思います(*^^*)
でもその不安ごと受け止めてくれる優しくて、素敵な方ばかりなので、思いきって飛び込んでみてください!!
暖かい方ばかりで友人の和が広がり、発表の内容も丁寧に教えてくれるので、凄くわかりやすいです(^▽^)b
私もまた参加したいです☆
(20代・女性)
人と多く接っする仕事をしていて、また、人を援助し、支える仕事をしていて、
色々と考えさせられたと思います。善因善果や自因自果といったこと、自利利他
ということ、人に親切をするということについて、他人のためだけでなく、自分のためにも、
まわりまわって良い結果となるということを、自分の仕事を通じて実感していたので、
参加してとても良かったと思いました。
(20代・男性)
恩をまず知るからこそ、感謝の気持ちが沸くと実感しました。まず知ることが大切ですね。
仏教で、親に対しての恩が説かれていることに驚きました。
子が“生まれたことを心から喜んでいる”ことが親にとっての幸せだと再確認出来ました。
(40代・女性)
お釈迦様の「天上天下唯我独尊」という言葉に「たったひとつの尊い使命がある。」
という意味が込められてるのにおどろきました。意味をまちがって理解していました。
その続きにも、「本当の安心、満足がある。」という意味の言葉があることも知りました。
(30代・男性)
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- 2012-10-01
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