トルストイと仏教2



【第3は自殺の道】


人生は無意味な悪の連続だ
としか思えなくなった

トルストイは、

「強いしっかりした性格の
少数の人が、こういう生き
方をする」と言いました。


一見すると、

世界の教師トルストイが、
自殺をすすめたとも
受け取れる内容なのです。


当時この「懴悔」を読んだ
トルストイ信奉者は、
勧めに従って、
次々に自殺しました。

大変な影響力に驚いた
ロシア政府は、

この本を発禁処分にせざるを
得なかったともいわれています。


彼自身も自殺の道に
ひきつけられましたが、
彼にはまだ、そこに突入する
までに至りませんでした。


【第4は弱気の生き方】


生きることは無意味だと思いながらも、

自殺する力もなく、
ただ生きる生き方です。

トルストイは

「この生き方は、私にとって実に
うとましかった。
しかし私は自殺する勇気もなく
ただ生きるしかできなかった」

と言っています。




理性ではどうあがいても、
生きる意義は見つかりませんでした。

ついに彼は、

信仰の道に入ってゆきます。

当時のロシアでは宗教と言っても
キリスト教しかなく
仏教の教えを正しくしる
事はトルストイでも大変
むずかしかったのでしょう。


キリスト教の信仰の矛盾に
苦しんだトルストイは
このようにいっています。

「私はどんなに理性で考えても
生きる意味が見つからなかった。

しかし、キリスト教をどんなに
信じようとしても

今度は理性を否定しなければ
信じれるものではなかった」


無意味な人生への苦しみと

理性を放棄しなければ受け入れが
たいキリスト教への

矛盾に苦しみ続けたトルストイは

82歳で世俗を一切断ち切って家出。
4日目、いなかの駅で肺炎で死亡
しました。


彼の死後、机の中から、
一枚の走り書きが見つかりました。


事実上の遺書といわれる一枚の
メモには、次のように記されていました。


「わたしは、真実を愛す。
 こよなく、真実を愛す。」



仏教にこそ真実が・・


真剣に真実を求め、求めえずして絶望し、
あきらめながらも
なお死の直前であきらめきれず、
最後まで真実を求め続けたトルストイ。


そのトルストイが、唯一「懴悔」の中で、


「これこそ、論じあう余地のない真実だ」
と述べているのが、

これこそお釈迦様の説かれた
人間の実相のお話なのです。



「出家とその弟子」の倉田百三の言葉が
思い出されます。


倉田百三(劇作家)

・トルストイの如きは日本の法然や、
親鸞の宗教を知ったら、誰れよりも先きに
随喜する人ではなかったかと思うのだ。

・ニイチェでも、トルストイでも、
ボードレールでもこれを読んだら驚くだろう。
トルストイの如きは82歳の家出後に於て、
死なずに、これを読んだら、
更に転心して念仏に帰しはしなかった
であろうか

★仏の説かれた真実をこれからみなさん
にお話ししましょう。



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