自業自得 と 因果応報について
私たちの心や口や体でやった行い(業)
は業力といって結果を生み出す力と
なってやった本人に蓄えられていくと
お釈迦様 説かれています。
これを業力不滅(ごうりきふめつ)とか
不滅の業力といいます。
誰も見ていないところでやったことでも
誰も聞いていないと思っていったことでも
やったという事実は事実です。
なので必ず結果を生み出す力となって
やった本人に残るのです。
たとえば体の行い
これを仏教で身業(しんごう)といいます。
《一度身についた習慣はなかなか離れない》
一度身についた悪い習慣はなかなか離れません。
朝寝坊・・がやまらない・・という人もあるでしょう。
おかもんも学生時代そうでした。
6時に起きるぞ!!
と目覚ましかけて
朝、目が覚めるのですが、まだ、時間があるから
後 10分・・・
ハッと気がつくと6時30分・・・
まずい、初日から。。
次の日はと思って寝るのですが
今度は6時30分に目が覚める
じゃあ、6時30分に起きることにしよう
と起床の時間を変える。
とことが次の日6時30分に目が覚めると
あと10分 あと20分・・
この繰り返しで7時になり 8時になり
気がつくとお昼になっていた・・そんなことがあります。
寝ぼう・・という体の行い(身業)がどんどん自分を縛るのです。
寝れば寝るほど眠くなる
食べれば食べるほど食べたくなる
やればやるほど、私たちは自分のやった行いによって縛られていく。
そして自分でもコントロールがきかなくなる。
なぜか???
それは私たちの行い(業)に力があるからです。
お釈迦様は業力不滅(ごうりきふめつ)
と説かれています。
誰も見ていないところでやったりいったり思ったり
したことが運命・結果を生み出す力となってやった本人に
蓄えられるのです。
だから
まいた種は必ず生えるということです。
苦しい時、つらい時、あいつのせいこいつのせいと
すぐに犯人捜しをします。
しかし、静かに自分のやってきた行いを振り返ってみましょう。
案外そこに答えがあるものです。