殺生 にも三通りある

仏教では私たちの体で作る悪に

殺生(せっしょう)

偸盗(ちゅうとう)

邪淫(じゃいん)

この三つを教えられています。

殺生とは、生き物を殺すこと

偸盗とは、他人の物を盗むこと

邪淫はよこしまな男女関係です。

まず最初の殺生といわれる罪を見ていきましょう。

殺生罪

仏教では、生き物を殺す罪を 殺生罪 と
言います。

私たちは動物を食べるのを当たり前だと思っています。

しかし食べられる動物たちは決して、
人間に食べられるのが当然とは思っていないでしょう。

どんな生き物でも、死にたくないのは、私たちと
変わらないはずです。

船に上げられた魚がピチピチはねるのも、

鶏が首を絞められてバタバタもがくのも、
苦しいからでしょう。

ゴキブリは見つかるとわかるとものすごい勢いで
ギアチェンジして逃げ出します。死にたくないからです。

人間とはなんと残酷なものかと強く呪って死んでいるに違いありません。

ちょうど私たちが無実の罪で殺され、肉体を食べられる恨みと同じだと思います。

お釈迦様は、すべての生命は平等であり 上下はないと教えられています。

人間の命だけを尊いと考えるのは、人間の勝手な言い分です。
殺生は恐ろしい罪に変わりはありません。

一言で 殺生 と言っても、殺し方によって仏法では三通り
に分けられています。

それが

自殺(じさつ)
他殺(たさつ)
随喜同業(ずいきどうごう) 

ということなのですが

この 仏教で教えられる殺生罪について
お話したいと思います。

そんなこと言っても生き物を殺さなければ生きていけないだろう
「生きるためには仕方ない」と思われるかもしれませんが

ここでよく知っていただきたいことは

「生きるために仕方ない」ということは人間の勝手な都合であって
「生きるために仕方ない」=「やっていいこと」ではないのです。

私たちは「生きるために仕方ない」ということを
いつの間にか だから、「やってもいいこと」にすり替えているの
ではないでしょうか。

「おいしく食べてやることが魚が一番喜ぶんだ」という漁師さんを

テレビで見たことがありますが魚からみればこれほど自分勝手な言い分もないでしょう。
ですが、私たちはみんな自己中心的にしか物事を見てはいません。

殺生罪の教えから、ほかの生き物の視点で見ればいかに
自分勝手なご都合主義を押し通しているかが知らされます。

仏教と言う視点で人間を見つめると如何に自分勝手な存在であるかが
知らされますね。

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