自業自得 と 因果応報について
<ナワを恨むドロボー>
という諺があります。 ドロボーがつかまって縄で縛られている。
しょっ引かれながら、ぶつぶつ小言を言っている。
おれがこんなに苦しんでいるのは ナワのせいだ
このナワさえなければ 俺はこんなに苦しまなくてもいいのだ
とナワのせいにしている・ こんなドロボーがいたら
みなさん、賢いと思いますか? 馬鹿だと思いますか?
馬鹿な泥棒です。
つかまって縄で縛られるのは
泥棒という行いをしたからです。
ですから原因は ドロボーという自分の行いですよね。
ナワが原因のはずがありません
ナワは何かというと この場合、縁ということになります。
だからどんなにナワという縁があっても
泥棒という種まき(業)をしていない人には
縛られて苦しむという結果は起きません。
泥棒はなんで自分が縛られなくてはならないのか
それを考えようともせず、縛っているナワのせいにしている。
こんなのを ナワを恨むドロボー といいます。
これだと笑い話のようですが、
私たちの日常には
ナワを恨むドロボーを笑えないケースも多くありますね。
たとえば・・・・
○スピード違反で捕まった時
なんでこんなところの白バイがいるんだ!!
こんなところに白バイがいたから捕まったんだ。
と白バイのせいにしたり
○テストの結果が悪かった時
なんでこんな難しい問題がでるんだ
ほかのところはちゃんと勉強していたのに
テストが悪い(-"-)
とテストのせいにする。
これではナワを恨んでいるドロボーと変わりがないのではないでしょう(T_T)
制限速度を守っていれば
白バイがいてもつかまらなかったし
ちゃんと勉強しておれば
ヤマカンはずれても大丈夫だったのです。
仏教の教えの根幹は
善因善果
悪因悪果
自因自果
善い運命も
悪い運命も
自分の行いが生み出した結果なのだとお釈迦様教えられます。