自業自得 と 因果応報について
では、因果とは何かというと
因とは原因のこと
果とは結果のこと
仏教では、どんな原因にも必ず結果がある
原因なしにおきる結果は万に一つ億に一つ絶対にない。
といわれます。
もちろん原因がわからないことはあります。
しかし、
原因がわからないことと、原因がないということとは全然ちがいます。
たとえば、太平洋の底深く沈んでしまった飛行機の墜落した原因はわからないでしょう。
しかし、乱気流に巻き込まれたとか、エンジンが故障したとか必ず原因があって墜落という結果がおきたのです。
原因なしに墜落するということは絶対にありません。
《たまたま偶然であきらめていませんか??》
私たちは自分に都合が悪いことが起きると
たまたま とか 偶然 仕方なかったと流してしまいます。
たまたま とか 偶然 と いいますが
それは 原因なしにおきたということでしょうか?
お釈迦様は どんなことにも必ず原因があるのだよ と教えられています。
仏教の根幹は因果の道理です。
どんな結果にも必ず原因がある 原因なしに起きる結果は絶対にありません。
これが三世十方をつらぬく宇宙の真理とお釈迦様は説かれます。
ところが、私たちは 試験に失敗したり ともだちとケンカしたり
ふられたり 上司に叱られたり 自分の思う通りにならなかった時
「たまたまだ」 「偶然だ」 「運が悪かった」 「しかたがなかった」
でアキラメていないでしょうか?
原因なしに起きる結果はない どんなことにも必ず原因がある
と聞けば
だれでも納得しますが
いざ、自分に都合が悪いことが起きると
たまたま・偶然・運が悪かった で流してしまいます。
では、たまたま とは 原因なしに起きた結果ということでしょうか
そうじゃありませんね
「原因なし」ではなくって 「原因がわからなかった」ときに
たまたまだ とか 偶然だ といっています。
でも原因がわからないといっても
よーく反省すれば
原因がわかることもたくさんありますね。
★たまたま、試験の成績が悪かったと思っていたけど
よく考えたら全く勉強していなかった
★たまたま、相性の悪い上司だと思っていたけど
自分にも相手を怒らせるきっかけがあったな
★彼氏彼女とケンカしたけど自分がちょっとわがままだった
思い当たることが必ずあるはず。