自業自得 と 因果応報について
外道とは
どんな意味だと思いますか?
外道というと、頬に傷のある怖いひとを思い浮かべると思います。
ところがもともと仏教の言葉です。
外道とは・・道から外れる ということですが
道・・道理(真理)から外れた教えを外道というのです。
仏教では大宇宙を貫く真理は 因果の道理と説かれます。
ですから、
因果の道理に反した教えを外道というのです。
逆に、
内道(ないどう)というと因果の道理に合致した教えということですから
仏教のことを内道ともいいます。
運命は決まっていません。
まいた種は必ず生える
今日の私の行いが明日の私を生み出すのです。
運命はすでに決まっている
という考え方を
お釈迦さまは外道といって
人間を不幸にする考え方と否定されています。
そもそも、運命論とはこれからあなたに起きること
すべてはすでに決まっているんだよ。
ということなのですが、
こんなコトを信じてしまうと、努力する気持ちなど
全く起きなくなってしまいます。
「いやー、努力するのもしないのもすでに決まっているのだ・」
・
と運命論者はいうでしょうが、だったらなおさら、
つらい思いをして 努力はしないでしょう。
積極的に努力して未来を変えようというという気持ちは
出ようがありません。
それでも運命論者は、
「あなたがそう思うのも、そんな風に反論するのも
すでに決まっていたのだ」・・というでしょう
理屈の上では反証できないかもしれませんが、
そんな屁理屈こねている時点で
人間を無気力、不幸、だめにする考えであることを
ものがたっています。
<運命論者の矛盾>
この考えの最大の矛盾は
運命論を称えている人が実は運命論など信じていないところです。
たとえばある人が
「この世のすべてはすでに決まったいることなんだよ!!」と
相手を説得していたとしましょう。
「そんな馬鹿な・・だったら、努力する意味はなくなるじゃないか・・」
「だから!・・努力することもすでに決まっているんだよ!!!!」と熱弁をふるう。
ところが一生懸命、熱弁をふるって相手を説得しようとすること自体が
実は運命論を信じていないことを物語っているのです。
完全に決まった未来を変えようとするでしょうか?
説得しようとすること自体が今の行為によってこれからの結果が
変わると信じているからです。
「運命は決まっている」と力説していても
日の食料を得るために今日、必死に働きますし、
半年後、試験となれば今から勉強します。
今の自分の行為次第で、未来の自分の運命が変わると信じているからです。
お釈迦さまが
善因善果 悪因悪果 自因自果
よいタネをまけばよい結果
悪いタネをまけば悪い結果が現れる
まいた種まきに応じた結果が現れるのだから
幸せになりたければ、一生懸命、よいタネをまきなさいよ
と運命論者でも信じているのです。
みなさんの未来は決まってはいません。
これからのみなさんの行い次第で変えていけるものなのです。
因果の道理をものさしとして
決してあきらめることなく
タネまきをしていきましょう。
≪読者の方から感想を頂きました≫
一部紹介させていただきます。
まいた種は必ず生える
今日の私の行いが明日の私を生み出すのです。
本当にそうだと思いました。
他のことでもこれを学びました。
仏教はとても深い意味だと思いますが、
改めて認識しました。
そして
こんなことも以前学びました。
他人と比較して恥じるより、
去年の自分と比較して成長がないことを自分に恥じれと。
本当にそうですね
とても勉強になります。
有難うございます。