経典 ってどんなもの?

経典は そもそも どんなもの?】

仏教とは お釈迦様が35歳のときに仏という大宇宙最高の
悟りを開かれてから80歳でおなくなりになるまでの

45年間 教えていかれたみ教えですが

そのみ教えは今日すべて 書き残されています。

それが経典・・つまりお経ですね。

仏の説かれた教えを記したものですから

仏典とも言われます。

お釈迦様の45年間のみ教えを書き残したものすべての

経典を 一切経(いっさいきょう)といいますね。

この一切経、全部で七千巻以上あります。

七千巻以上というのは膨大な数ですね。

このお経を運ぶのに七頭の馬ではとても積みきれなかったので

一切経のことを 七駝片馬(しちだかたうま) といいます。

七頭のラクダと半分の馬

ということですね。

そうか・・葬式法事でよまれている

あのお経は お釈迦様のご説法がとかれたものだったのか・・

その通りです・・

では

経典は 一体 だれのためのものでしょうか?

如是我聞・・お経の出だしはこう始まる

世間では葬式法事で長いお経をあげてもらうと

その功徳で死んだ人が楽になれると思っている人がありますが

それは大変な間違いです。

お経は死んだ人のために説かれたものは何一つありません。

生きている私たちのために説かれたものなのです。

お経の出だしは、如是我聞で始まることが多いのですが

これは、是の如く我聞く と読みます。

このように私たちはお釈迦さまから聞かせて頂きました。

と言うことです。ここからも、

お釈迦さまが生きている私たちに説かれたことの記録だと分かりますね。

こんなエピソードがあります。

お釈迦様の弟子が、

「死人のまわりで有り難い経文を唱えると、善い所へ生まれ変わるというのは本当でしょうか」

 と尋ねたところ

黙って小石を拾い近くの池に投げられた釈迦は、沈んでいった石を指さし、

「あの池のまわりを、石よ浮かびあがれ、浮かびあがれ、と唱えながら回れば、石が浮いてくると思うか」

 と反問されています。

石は自身の重さで沈んでいったのである。そんなことで石が浮かぶはずがなかろう。

人は自身の行為(業力)によって死後の報いが定まるのだから、
他人がどんな経文を読もうとも死人の果報が変わるわけがない、と説かれています。

読経で死者が救われるという考えは、本来、仏教ありませんでした。

なぜなら、お釈迦さまが仏教を説かれたのは

苦しみ悩む生きている私たちの為だったからです。

<親鸞聖人の言葉>

仏教の真髄をえぐり出して教えられた
親鸞聖人は 

有名な 歎異抄に

「親鸞は父母の孝養のためとて念仏、一返にても申したることいまだ候わず」

「親鸞 閉眼せば賀茂川に入れて魚にあたうべし」

とおっしゃっています。

生きている今 何のために生きるのか分からず苦しみ悩む
暗い魂を生まれてきてよかった 大安心 大満足の身に救うのが仏教ですから
死んだ後の後始末は問題ではないのです。

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