★人間の実相:白骨2★
どんな人であっても
老いや病そして死という現実に
直面した時は、
いったい自分の人生は何のため
なんだろうかと考えずにおれません。
特に自分の両親との死別の時は
人生とは何かをもっとも問われる
ときです。
仏教を説かれたお釈迦様は
幼少はシッタルタ太子といい
王子として生を受けました。
何不自由のない生活と大変な
才能に恵まれていました。
ところがあるきっかけがあって
人生に深く悩まれるようになったと
いわれます。
【四門出遊】(しもんしゅつゆう)
お釈迦様が仏のさとりを開かれる前
悉達多太子 といわれていたころ
カピラ城の東門から出かけた太子
見るに耐えない枯れ木のようになり杖に
すがってようやくあるく人間を見たのです。
太子は、家来に
『あれは何者か?』とたずねられた。
老人でございます。すべての人間は、
必ず年老いてあのようになるのです。
太子とて例外はありません
南門から出かれられた太子。
道端にうずくまりうめき苦しむものをみました。
『あれは何者か?』
病人でございます。
すべて人間は、必ず病に
かかって苦しまねばなりません。
太子とて例外はありません
西門から出た太子。葬式に遭遇した。
『あれは何者か?』
死人でございます。
生あるものは必ず死に帰す。
どんな屈強な人も死ねばあのよう
に動かなくなり、
焼かれて一つまみの白骨になるのです。
太子とて例外はありません
それからしばらくして、
北門から出かけました。
出家修行者に遭遇した太子は尋ねた。
『お前たちは何をしているのか??』
沙門(出家修行者)は、答えました。
『わたくしは、生老病死の苦しみを越えた
かわらない幸せを求めています。』
老いや病や死を越えた 永遠の幸福・・・・??
「これこそが私が
本当に求めねばならない
人生の目的ではないだろうか」
そして29歳のとき、
悉達多太子は真実の幸福を求めて
出家を断行されたのです。
★無常を観ずるは菩提心の一なり