★人間の実相:白骨4★


人間の迷信・さかさまの心

仏教では人間の常識の中に

まったく真実と正反対の

迷信があると教えています。

顛倒(てんどう)の妄念(もうねん)

と言います。



おれは証明できないことは信じない

    という人がいます。


理系の学生が多いのですが
私もそうでした(^◇^)

ですが私達が間違いないと信じていることは

みんな証明されていることなのかというと

とんでもありません。



500年以上前は地球は丸いなんてだれも信じていませんでした。
そんなこと言ったら狂人あつかいされて火あぶりになった人もあります。

みんな疑いもせずに


時刻表どうりに電車が来ると信じています。

すっている空気に毒が混じっていないと信じています。

今、いるビルが火災に巻き込まれないと信じています。

恋人はお互いが愛し合っていると信じています。

ですが、どれ一つとして証明されたものではありません。

  それを証拠に

突然の電車事故

観光先で火災に巻き込まれ死亡

信じていた人にだまされて

苦しみ泣いている人はたくさんいます。

そう考えると私達は

何の根拠もない

危ういものを信じて

生きているといえるのではないでしょうか。

そんな中でも

もっとも危ういものは


私たちの命なんだよ
とお釈迦様はいわれています

私達の命は明日とも知れません。

ちょうど暴風の中にやっとこさ燃えている

ロウソクの炎です。

ところが、

私達は明日も生きておれると

自分の命を固い石のように信じているの
ではないでしょうか?

間違った人生観に積み上げた
幸せは必ず崩れます。




えー いつか死ぬなんて当たり前

そんなこと分かっているよという声が聞こえてきますが

ホントでしょうか????


明日、死ぬと思って生きている人はいるのかと言えば

誰もいないでしょう。



それを証拠に明日の買い物にいき

明日の仕事の段取りをたて

明日のデートの食事の場所を探しています。

明日どころか来年の試験のため

5年後のマイホームのため

10年後の定年後のため

私達は少なくとも5年 10年先は

生きていると何も疑いなく信じています。



明日になればまた明日、その明日になれば

またその明日は生きておれる。

これではいつまでも死なないと思っていることには

ならないでしょうか?



砂の上にどんな建物を建てても

ちょっとした地震で崩れてしまいます。

明日どうなるか分からない命にどんな

幸せを描いてもいつ崩れるかわかりません。




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