仏教の教え 2


仏教は私をうつす鏡


仏教に説かれた真実


☆読者の方からこんなメッセージが届きました☆

七慢(しちまん)についてお話し頂きましたが

「恐ろしい」と思いました。

自分を見えなくさせるウヌボレ心・・・

このような「七つのうぬぼれ」なく、心穏やかに

日々日常を送るにはどのような”心”(気持ち)で

過ごせばよいのでしょうか。

日常は何かと時間やスケジュールに追われて、いつの間にか

ウヌボレ心が出るのでしょうか。

自分の「弱さ」から出るのでしょうか。

自分自身が本当に強くなれば、うぬぼれ心はなくなるのでしょうか。

考えれば、考えるほど難しくなってきました。

★おかもん★

真剣に読んで下さっている方ですね。

この七慢が知らされると

ウヌボレ心からはなれきれない自分が見えてきます。

とても真面目な方です。

では、親鸞聖人はこのウヌボレの心をどうされたのでしょうか。



【比叡の山での20年の御修行】

9才で天台宗比叡山に出家なされた

親鸞聖人は、20年間 命がけのご修行に

打ち込まれました。

それは、欲や怒りや愚痴や、ウヌボレなどの

108の煩悩との戦いでした。


その中でも最後まで苦しまれたのが

ウヌボレ心の慢だといわれます。

お山での修行や学問ができればできるほど

(お前たちは、こんなこともできないのか!)

(おれはこんなにやっているのにどうして・)

と人を見下しうぬぼれるこの心だけは

どうにもならず、

泣く泣く29才の時に山を降りられたのです。


こんなウヌボレ心からはなれきれない私達は、仏教という法鏡によってしか

真実の姿を知ることができません。

では、法鏡にうつれた真実の私
とはいかなるものなのでしょうか?


★人間の実相★

これからみなさんにお話しすることは

私達のウヌボレをはぎ取って明らかにされた

人間の真実です。

お釈迦様は、これをあるたとえを通して

教えられています。

みなさんは自分でもわからなかった
自分の姿を仏教という法鏡の前に
照らし出されることになるでしょう。

それは、今まで目をそむけてきた「私」かもしれません。

では法鏡にうつれた私とは

いかなるものなのでしょうか

ここからが

 仏教の入り口です。

詳しく聞きたい方はぜひ

勉強会におこしください


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