仏教の教えがわかる


さて、お釈迦様は人生を
秋の夕暮れとたとえておられます。

人生にはいいようもない寂しさ、孤独が、あるからでしょう。

すぐれた文学作品は日常に隠れている
私たちの孤独な魂をうきぼりにします。

唯川恵さんのロンリーコンプレックスにはこんなくだりがあります。


直木賞作家 唯川恵さんの
の作品【ロンリー・コンプレックス】から引用


もし今「不幸ですか?」と尋ねられたら、
すぐに「いいえ」と首を振ることができます。

でも「満ち足りてますか?」と尋ねられたら、
きっと返事に詰まってしまうでしょう。
 
【不幸じゃないけど、満ち足りてはいない。】

確かに、食べることに困るわけではないし、
住むに困ることもない、そこそこのお給料をもらい、
そこそこの欲求も満たされて、
それなりの毎日を過ごしています。

それでもやっぱり【何かが足りない】のです。

それが何なのか、自分でもよくわかりません。

だからつい、他人と較べて自分を位置付けてしまう。

あの人には充実した恋がある、心を許し合う友達がいる、
暖かい家族がある、やりがいのある仕事がある、なのに私ときたら・・

そして、ひとりとり残されてゆくような
気持ちになってしまうのです。

時には、今を実感できなくて、
他人の人生を生きているような気にさえなってしまいます。

そんな心の奥底を探ってゆくと、これにぶつかりました。

【孤独】です。

文字にすると、ちょっと重くて、イメージ的には部屋の片隅で
膝を抱えている図を頭に浮かべてしまうかもしれません。

でも、今、私が感じているのは、それとは少し違っています。

【同じ孤独でも、みんなで集まってワイワイ騒いでいる中で、

ふっと異次元に足を滑らせてしまったような孤独です。】

【楽しいのに、みんながそばにいるのに、
どうしようもなく孤独に陥ってしまうことが。】

私にはあります。
そして、それは毎日の生活そのものにも言えることではないか
と思うのです。

それなりの快適な暮らしをしている中での孤独。

いいえ、

【それなりの快適な暮らしだからこそ感じる孤独。】


★哲学者 三木清 は

「孤独は山の中ではなく、街の中にある」

といいました。


この得体のしれない孤独な心を

仏教では無明の闇といいます。


この無明の闇こそが私たちの苦しみの原因なのです。


くらい心の正体を明らかにして

無明の闇を破り、

よくぞ人間に生まれたものぞと生命の大歓喜になることが

私たちの人生の目的です。

それを明らかにされたのが、

仏教であり、親鸞聖人のみ教えなのです。

★無明の闇を破するゆえ

智恵光仏となずけたり

  親鸞聖人




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