諸行無常の響きあり……無常を観ずるは菩提心の一なり
▼前回、平家物語の冒頭について書きました。 「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」
前回は、祇園精舎についてでしたが、 今回は、諸行無常についてお話ししたいと思います。
諸行無常とは、 諸行とは、すべてのものということ。 無常とは、常が無いという事です。
常が無いとは、ずっと続く、変わらないものはないという事です。
たとえば、今こうしてメルマガを書いているパソコンも ずっと元気に動き続けるわけではないです。
デスクトップパソコンの寿命は5年 ノートパソコンの寿命は3年といわれるように、 やがて壊れていくということがあります。
住んでいる家も、何十年もすれば、古くなって住めなく なります。
この地球さえも、あと60億年後には無くなってしまう と言われています。
では、人間の心はどうでしょうか。 サラリーマン川柳13回、最優秀作品に 「プロポーズ あの日にかえって ことわりたい」 とありますが、 「離れたくない!」が「話したくない!」と変わるように、 心も、大きく変わってしまうんですね。
あまりに「コロコロ」変わるので、ロを一つ取って 「ココロ」というようになったとも言われるほどです。
▼変わらないものは何一つないと聞いて、 「そんなこと無い!」と思う人はないと思いますが、 自分の周りにあるもの、自分が持っているものは、 「例外」という心があります。
自転車を盗まれたという話はよく聞きますが、 「自分の停めた自転車は、ちゃんとあるはず」 と思います。
パソコンがウィルスにやられて壊れたという話を聞いても 「自分のパソコンは大丈夫!」とウィルス対策ソフトを入れなかったり バックアップを取らなかったりしますよね。
ところが、大丈夫と思っているものにも無常がやってきます。 「これも例外じゃなかったのか」と知らされた時に、 「こんなはずじゃなかった」と後悔する事になるんですね。
▼そんな事、聞いたら暗くなっちゃう という声が聞こえて来そうですが、無常である事を見つめる 事が本当の幸せの第一歩であると教えられているんですね。
身近な事で言うと、無常だと思うからこそ大事にするようになります。 荷物でも、「ワレモノ注意」とあると慎重に扱いますよね。
人間関係でも、この人との関係は大丈夫だと思うからこそ ついつい粗雑になって 手でしなければならない事を。足でする 足でしなければならない事を、尻でするようになる 尻でしていた事をしなくなります。 それによって、気付かないうちにだんだん 関係が悪化していって、気付いた時には修復不能に なっていくものです。
無常だと思うからこそ、努力が生まれてくるんですね。
▼仏教では 「無常を観ずるは菩提心の一(はじめ)なり」 と言われます。 無常である事を見つめると、代わり通しのこの世界で 変わらない、崩れない本当の幸福を知りたいという 気持ちが起きるという事であり、 無常を見つめる事が、本当の幸福の第一歩である という事なんですね☆
それが、祇園精舎でなされていたお釈迦様のご説法だったので 「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」 と言われるんですね。