お経とは死んだ人のごちそうですか?
千葉市民会館
▼仏教と聞くと、何が思い浮かぶでしょう??
お葬式
法事
墓
お経
などなど、
どれも死んだ人に共通するものが思い浮かぶのではないでしょうか?
(本当はそうではないんですが…)
お葬式は死んだ人の為の儀式法事は死んだ人の為お墓は死んだ人のいる場所だしお経は死人のごちそう
そんな風に思っている人が大半なのではないでしょうか。
医者が懐中時計を道に落としていく。
後から黒衣を着た僧侶がやってきて、その時計を見つけてネコババする。
ところが不覚にも時計のクサリが懐からのぞいていた。時計を落とした医者が慌てて引き返し、件の僧に尋ねるが僧侶は知らぬ存ぜぬで押し通す。
その時、懐から顔を出しているクサリを見つけた医者は、ぜひそれを見せてほしいと申し込む。
しまったと思ったがあとの祭り、これは私の懐中時計だが、しばらくならお見せしましょうと、僧侶はシブシブ医者の手に渡す。
医者は早速、聴診器を取り出し時計を診察して、いわく、
「坊さん、この時計はまだコチコチと生きていますから私が預かります。死んだらあなたにお渡ししましょう」。
医者は笑いながら立ち去っていく。
▼時計は私の心臓に置き換えるとどうでしょう。
心臓が動いている間はみんな僧侶のところには行かず、医者のところにいきます。
心臓が止まってしまったら、もう医者は手遅れで、僧侶のところにいかないと、って思いますよね。
医者は生きている人の為の職業僧侶は死んだ人の為の仕事
そんな風におもっている人が多いのではないでしょうか。
医者の仕事は生きている人を病気から助けることですが、僧侶の本来の仕事は生きている人を助けることなんです☆
▼たとえば、「お経」は死んだ人のごちそう
長いお経を読めば死んだ人が浮かばれると思っている人が多いと思いますが、どのようにしてお経ができたかを知ればそれが誤解であることがわかってもらえると思います。
お経は、お釈迦様が筆を執って書かれたものではないんですね。
お釈迦様は35歳の時の「仏」の悟りを開かれて80歳でなくなられるまでの45年間教えを説かれました。
その釈迦45年間の教えを仏教といいますが、お釈迦様が亡くなった後、お弟子の人たちがお釈迦様の教えを後世に伝えたいと500人集まったと言われます。
その中で一人の人が、「私はある時、お釈迦様からこのように聞かせていただいた」と話をして、それを聞いた弟子の人たちが満場一致で
「私もそうきいた」
という内容だけを書き記したものがお経なんですね。
ですから今の言葉でいうと、講演会の記録なわけです。
ということは、当然、お釈迦様は生きている人を相手に、教えを説かれたわけだし、その教えが収まっているお経は、生きている人にとって知らなければならない大切な事が教えられているんですね☆
▼勉強会では、そのお釈迦様が説かれたお経の内容を、今の人にわかる言葉でお話をしています(^o^)
関心を持たれた方は、一度聞いてみてください☆