第3話 / 全4話

殺生 にも三通りある

読了目安 約2分 ・ 最終更新 2026年7月

殺生 にも三通りある

仏教では

直接、生き物を殺す(自殺)だけが殺生罪ではないのだよ
と言われています。

≪他殺とは≫

他殺とはこれは

「他人に命じて殺させる」ということです。

食肉加工場の方や、
漁師さんがどうして魚や、牛や豚を殺すのかというと
これは食べる私がいるからです。

害虫駆除の業者の方がどうして、ネズミを殺すのかというと
「殺してください」と依頼する人があるからです。

肉や魚を買って食べる私は
たとえ自ら手にかけて、牛や豚を殺してはいなくても

業者の人に殺させている
他殺の殺生罪を作っているのです。

≪ブタがいた教室≫

「ブタがいた教室」という映画があります。

時は1990年7月。

大阪の小学校で、いのちの教育の一環として、
みんなで豚を飼い、その豚をみんなで食べることで
食生活を見直そうという授業がありました。

担任の先生は、

今は、みんな、パックの中に入っている豚肉しかしらない。
豚という生きているものと、豚肉というものが
全然つながらない。

だから、最後は殺してみんなでその豚全部、丸ごと食べる。
それぐらい責任もって一つのことができたらいいな。
というような思いで、その授業をはじめました。

その豚にPちゃんと名前をつけます。
そして、みんなで一生懸命育てます。
そしてその日はやってきます。

最初の約束だった
「みんなで育てた豚をみんなで食べる」日。
クラスのみんなでPちゃんのことを話し合います。

食べるか、食べないか、真っ二つに意見が分かれます。
みんなで泣きながら真剣に討論します。

そして、Pちゃんは最後・・

という内容です。

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ひどい授業だと思う方もあるかもしれませんが

一昔前は

鶏とか豚とか家畜がどの家にもいて

大切に育てながら、大きくなればそれを

殺して食べるという家も多かったのではないかと思います。

ところが、今日、見たくないものを全く
見えないように加工された生活の中で

私たちは

たくさんの生き物を犠牲にして生きていることを
実感できなくなっています。

それはそのまま
命の重さを実感できなくなっていることに
つながっているのかもしれません。

「むかついたから」

「泣きやまなかった」

「死んでもほっておけば年金が入るから」

こういう人命軽視は後と立ちません。

他人の命が重たいと思えないのは
自分の命が根なし草のよう軽いものとしか思えない不幸なことなのです。

人身受け難し 今已に受く

(生まれ難い人間に生まれることができてよかった)

というお釈迦様のお言葉をかみしめずにおれません。

  1. 殺生 自らの手にかけて殺す
  2. 殺生 他人に命じて殺させる
  3. 殺生 見て楽しむ心があれば同罪

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