仏教の教え 2
仏教は私をうつす鏡
今日は三番目の
慢過慢(まんかまん)についてです。
これは自分よりも相手の方
が明らかに優れている素直にそう思えず、
おれの方が上なんだと思う心です。
オカもんの高校時代の回想
シーン
自分よりも優れた人間は必ずいる。
高校時代 偏差値というもので
自分の学力を数値化された。
平均 偏差値・・でどこどこ大学にいける
おまえは
偏差値・・だから・・・
こんな会話が試験後には必ず出てくる。
そんな中で、ずば抜けて成績のいい同級生がいた
Oくんである。
Oくんは文系なのに
理系で数学を得意とする私の前で
私が解けなかった問題をものの5分で解いてみせたのだ
あのときのショックは今でも忘れられない。
勉強では彼との歴然な差を認めざるを得なかった。
ところが、その後、こんな心が出てきたのだ。
確かにOは勉強はできる。
しかし、スポーツはどうだ・・
かれはヤセッポチデ 吹けば飛ぶような体格
僕は柔道初段を持っている。
ケンカしたら俺のほうが勝つ!!
しかし、それだけではあまりに自分が惨めであった。
Oくんは友達は少なかった。私は比較的、多かった。
そこに目を付けた僕は、
Oくんは
勉強はできても人間性は劣る様だ。
人間性までいれたら、僕のほうが上かな・・・・
とかってにOくんの性格までもちだしてきたのだ。
こうまでしないと落ち着かない
人間性ではおれの方が上だというけど
そんなこと言っている自分の人間性が知らされる。
親鸞聖人は真実の自分の姿を
仏教という真実の鏡の前にハッキリ照らし出されて
このように告白されています。
★親鸞聖人のお言葉★
悪性(あくしょう)
さらにやめがたし
心は蛇蝎(じゃかつ)
のごとくなり
修善(しゅぜん)も
雑毒(ぞうどく)なるゆえに
虚仮(こけ)の
行(ぎょう)とぞなずけたる
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