仏教の教え 2
仏教は私をうつす鏡
第一の鏡:他人鏡
★さてさて
前回はジョハリの窓について
お話ししましたね。
●自分で気づいているところ気づいていないところ
●他人が気づいているところ気づいていないところ
●自分にも他人にも気がつかない自分・・
とありますように、
わたしたちは、自分がどんな人かを知るのに
周りの人が自分をどう見ているのかを気にします。
他人の目に映った自分の姿ですから
他人という鏡を使って
自分を見ようとしています。
人の眼なんか気にしてない
人からどう思われてもいい
と強がっても実は気にしているものです。
オカもんは
高校時代、自分は人の眼なんか気にしないんだ
そんな人の眼を気にしてい生きている奴なんて
くだらないという考えを強く持っていました。
そこで、高校に行くのに靴をはかずに
下駄でなくて、健康サンダルで通学していました。
→やっぱり変人だったのね・・・
ところが、今思うと、周りの友達の眼を気にしていない
どころか、オカもんは変な奴だ、おもしろいやつだ
常識破りの奴だと思われたい、そう、友達の眼にうつりたい
と思いっきり他人鏡を気にしていたのでしょう(^^ゞ汗
他人の目という鏡にちょっとでもよく映りたい
バカにされたくない、そんな気持ちで一杯なのが正直な気持ち!
かっこよく化粧するのも
いい大学、会社に行こうとするのも
流行に乗りおくれまいとするのも
この他人鏡にどう、かっこよく映るのかの
努力といってもいいかもしれません。
そういう意味では、他人の目、評価に振り回されて
すり減って、疲れてしまっている人も多いでしょう。
では、他人の評価とは、どれだけ私の本当の姿を
見ているのでしょうか??
それだけの価値がある正しい鏡なのでしょうか
考えてみてください。お話ししましょう(^−^)