お釈迦様のご出生
お釈迦様は、今から約2600年前の北インド、カピラ城に住まいする浄飯王とマーヤー夫人の間に生まれられました。
マーヤー夫人が懐妊し、出産の為に生まれ故郷のクリ城に戻る途中でした。
当時のインドでは、子供を産む時に実家に帰るという習慣があり、その習慣の通り、マーヤー夫人もカピラ城からクリ城へと象にのって移動している最中の4月8日、急に産気を催し、象から降り立ち近くのルンビニー園という花園で玉のような男の子を出産しました。
その時、ルンビニー園の花が満開であった事から4月8日を花祭りとしてお祝いします。
マーヤー夫人は、実家に帰る必要がなくなったので、そのままカピラ城に戻られたのですが、産後の肥立ちが悪く、1週間ほどで亡くなってしまったと言われています。
その後、太子は、マーヤー夫人の妹のマカマヤ夫人の手によって育てられる事になります。
マーヤー夫人が亡くなられた事は悲しい事でしたが、待ち望んでいた子供、しかも生まれた子供が跡継ぎの太子であった事に、浄飯王は、大変喜びます。
将来どんな子供になるのか、当時人をよく見ると評判だったアシダ仙人に見せたところ、太子の姿を一目見た仙人は、ホロホロと涙を落としたと言われます。
このめでたい時に不吉な涙を見せるとは何事かと浄飯王は激怒しましたが、
「この方は、ただの人ではありません。もし王位を継がれれば、世界を治める転輪王となられる方でしょう。もし覚りの道を求められたら、無上の覚りを開かれる仏陀となられる方でしょう。
私がみたところ、転輪王よりも仏陀になられるように思いますが、もしこのお方が、覚りを開かれて、教えを説かれても、私は高齢の為、その教えを聞かせていただく事はできないでしょう。それがなんと残念なことかと思わず落涙致しました」
とのアシダ仙人の答えに、王は大変満足したと伝えられています。
浄飯王は、太子に悉達多と命名し、王位を継いで転輪王とすべく、優れた家庭教師を付け、英才教育を始めるようになりました。
(つづく)