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心が変われば
世界が変わる☆
第137号
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▼こんにちは☆
今朝のニュースでワンガリ・マータイさんの訃報が飛び込んできました。
マータイさんは、ケニアの元副環境大臣で環境保護の活動家でした。
日本に「もったいない」という考え方があることを知り、感激し、
世界共通語にしようと2005年3月には、国連のある委員会で、
参加者全員に「モッタイナイ」を唱和させたほどです。
もったいないの語源を見てみると
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もったいない(勿体無い)とは、
仏教用語の「物体(もったい)」を否定する語で、
物の本来あるべき姿がなくなるのを惜しみ、
嘆く気持ちを表している。
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とありました。
本来使われるべきように使われていないところから
私たちが日常で使うもったいないという言葉になった
のだと思います。
あんな能力があって、本来活躍できる人がこんな仕事を
しているなんてもったいないとか
本来使えるものなのに、ゴミとして捨てられているなんて
もったいないという意味なんですね。
そういえば、子供の頃
公共広告機構(現ACジャパン)のCMで
「もったいないおばけ」
というのがありましたね。
もったいないという言葉が子供心にも残っています。
▼このもったいないという言葉
「物」だけではないように思います。
たとえば、私たちの「時間」を考えてみても
その時間を何に使うかによって、
活きた時間ともなれば、「もったいない」時間にも
なってしまうのではないでしょうか。
「ひまつぶし」という言葉がありますが、
英語では「kill time」というそうです。
貴重な時間をひまつぶして殺していては、
本当にもったいないことですよね。
人間がせっせとやっていることを見ると、
まるで春の暖かい日に、雪ダルマを作り、
その雪ダルマのために金銀珠玉の装飾品を集めたり、
堂を建てようとしたりするのに似ている。
果たして、その堂ができあがってから、
雪ダルマを中へ安置することができるだろうか。
いや、すぐに解けてしまうから、できるはずがない。
人は誰でも
「自分の寿命は、まだまだある」
と思っているが、実際には、
雪ダルマが解けていくように日々刻々と縮まっているのだ。
それなのに、あれもしたい、これもしたいと、
非常に多くのことを計画し、成就する日を待ち望んでいるのは、
雪ダルマのために堂を建てようとしているのとまったく同じではないか。
その願いがかなう前に、自分の命が尽きてしまうのだ。
(第百六十六段)
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兼好法師がいうように、命はまだまだある、自分にはまだまだ
時間があると思えば、毎日を無意味に過ごしてしまいますが、
いつどうなるか分からない大切な命と思えば、
今の時間を大切にするようになりますし、
本当になすべき事は何かが見えてくるんですね☆
後悔の人生に終わらないよう、
もったいない一生に終わらないよう、
マータイさんの訃報を縁に考えてみたいと思います。
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