地獄 はどこにある?

誰が地獄を作ったのか

では、その地獄とは誰が作ったのでしょうか。
キリスト教でいう煉獄(地獄)は、神が作った苦しみの世界に
神の裁きで落とされる世界です。

ですが、仏教に説かれる地獄とは誰が作ったものでも
ありません。

これは、自分自身の行い(業)が作ったものだと説かれます。

ここが、同じ苦しみの世界を説いているようでもキリスト教と
仏教では全然違うところなんですね。

ではその地獄は一体だれが作り、だれが生み出す世界のなのでしょうか?

★火の車 作る大工はなけれども 己が作りて己が乗りゆく

という歌があります。

あそこの家計は火の車だ なんていうと
あそこの家はとても経済的に苦しい状態
という意味です。

ですから火の車というのは苦しい状態です。

仏教では

火車来現 といって
地獄に堕ちるときは火の車が現れて
その火の車に乗せられて地獄に連れていかれる
と言われます。

ですから

火の車 で苦しい状態 のことです。

ではその 「車」はだれが作ったのか??

トヨタか 三菱か 日産か?
今では自動車メーカーですが
昔は大工さんが作っていました。

ですが苦しみという「火の車」を作った大工さんは
どこにもいません。

では誰が作ったのかというと
それは自分でつくった「火の車」に自分で乗って
苦しんでいるのだよということなのです。

《仏教とキリスト教の違い》

ここでキリスト教にも煉獄のような苦しみの世界が説かれていますから同じものだと思う人もあると思いますが
まったく違います。

仏教で説かれる地獄・・苦しみの世界とは
神が作った世界でもないし
神の怒りにふれて落とされる世界でもありません。
自分で作って自分で落ちていく世界なのです。

ですから

ジゴクを自業苦(じごく)と書くこともあります。

自分の

業(おこない)が生みだした

苦しみの世界

ということです。

《苦しくなると犯人探し》

私たちは苦しくなるとこの苦しみの
火の車を作ったのはだれだ!!
親のせい 夫のせい 職場の上司のせい
とつくった大工探しをし始めます。

ところが

お釈迦様は心を静めて自分の行いを振り返ってみなさい
自分の作った地獄に自分で落ちて苦しんでいるのでは
ないかとおっしゃっておられるのです。

他人のつくった火の車だと思うから
あいつのせい こいつのせいと
ウラミ呪いの心にますます苦しみます。
心を静めて自分のすがたを振り返ってみましょう。

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