地獄 はどこにある?
地獄なんてあるのだろうか、こんな疑問に答えたある布教使の話しが
あります。
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その総代の家に行ってみた。いろいろ話すうち、だんだん心を開き、やがて仏教を聞かなくなった本心をこのように、打ち明けてきた。
「私はね、仏教で、地獄がある、極楽がある、というのが信じられない。あなたは本当に地獄があると思っているのかね」
「地獄は厳然としてある!!」と私が答えると、
「それなら、地獄で罪人がまないたの上で切られたり、鬼がいたり、地獄の釜があったりするのが事実だと言うんだね」と食ってかかる。
「ならば、地獄の釜を造った鍛冶屋もいるだろう。あんた、その地獄の釜をこしらえた鍛冶屋の住所と名前知っているか」と畳みかけてきた。
「知っている。住所・氏名だけでなく、生年月日も知っている」
総代は意外な顔をして、
「あんた面白いこと言うなア。なら、地獄の釜をこしらえた鍛冶屋の住所・氏名を聞かせてくれ。そうしたら仏教聞いてもよい」と、話が進展した。
そこで私は、静かにこう言った。
「鍛冶屋の名前は教えるが、その前に聞いておきたいことがある。あんた夢を見たことがあるだろう、それも何か恐ろしいものに追いかけられて逃げている夢を」
「そりゃ見ることはある」とキッパリ答えるので、
「その時あんたは何で逃げる」。
「そりゃ、この足だ」
「その足でか、本当に?」
念を押すと、「足でなきゃ、手で逃げられるか」と総代は憤慨する。
「しかし、その足は布団の中にあるのじゃないか。それで逃げるのではないだろう」
「そりゃそうだ、逃げるのは夢の中の足で逃げるのだ」
「つまり、その時のあなたには、横にしている足と夢の中の足とがあるわけだね」
うなずく総代に、
「逃げる時、振る手も、逃げる体も、あんたの夢の中の手や体だね」と確認した。
総代はやはり、黙ってうなずいている。私はその様子を見て、
「実は、地獄というのは夢なんだ。お釈迦さまは地獄というのは夢だと説いてお られる」と諭すように言った。
「何だ、地獄というのは夢かね」
総代は拍子抜けしたように言う。そこで、
「夢かね、と言っても、それは恐ろしい夢で、※八万劫の間、覚めることなく苦しみ続ける夢なんだ。覚めた時は、何だ夢だったのかと思うが、夢の中ではそうは思えない。忽然と現れる山も川も、実在だ。汗を流して苦しみ続ける恐ろしい夢の世界が地獄ということなのだ」。
総代は神妙な面持ちになった。
「しかも、地獄だけが夢じゃない。この人生もまた夢なのだ。
あの豊臣秀吉も臨終に、
“露とおち露と消えにしわが身かな、難波のことも夢のまた夢”と言っている」
「この世も夢・・・・」
実は、この総代は、昨年、長年連れ添った奥さんを亡くされたばかりだった
のだ、
「そう、この世も夢、この世の夢が終わると、また、迷いの夢を見続けねばならない、私たちは果てしない過去から果てしない未来に向かって決して冷めない
迷いの夢を見続けているのです。」
この言葉に、総代は思わず、深くうなづいたのであった。
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