お悩み
あやまりたい人がいますが、なかなか自分からあやまれません。
お答え
本当は失いたくなかった友達や恋人、または肉親とケンカして、別れてしまった経験はないでしょうか。
できれば今でも仲直りしたい。だけどできない。それは、あなたの心に、強い意地やプライドがあるからです。
意地やプライドのことを、仏教では「我慢」(がまん)といいます。
自分が間違っていたと分かっても、どこまでも自分の考えを押し通す心です。つまり、「自分の考えは正しいのだから、絶対に謝らないぞ」と思う心のことです。
私が勉強会で「我慢」についてお話しする時、いつもこんな過去を思い出します。
私には2つ下の弟がいます。私が小学校3年生だった時、弟はまだ1年生でした。ある日、母がアイスクリームを1人に1本ずつ買ってきてくれました。
翌日、弟ははしゃぎながら冷蔵庫の中からアイスを取り出して、私の目の前で食べようとしました。私は弟を止めました。
「それは兄ちゃんのだ! まだ食べてないんだから」
と言って、私と弟のケンカが始まる。弟は、
「僕だって食べてないんだから。兄ちゃん昨日食べたじゃないか」
と言い返す。口論では決着がつかず、頭にきた私はコブシを振り上げたのです。
その時、思い出しました……。
(あ……俺、昨日、アイス……食べた……)
ところが、振り上げたコブシを私は下げることができませんでした。
そのままアイスを食べた記憶を頭の奥に押し込めて、そのコブシをおびえる弟の頭に振り下ろし、火がついたように泣き叫ぶ弟からアイスを奪い取って食べてしまったのです。
あの味気ないアイスの味が、今でも忘れられません。
人は自分が間違っていたと分かっても素直にそれを認められず、自分の体裁を守るためにその間違いを押し通してしまいます。
こんな心を仏教で「我慢」といいます。
この「我慢」は年とともに強くなっていくような気がします。
小学生の頃、友達とケンカして、「おまえとは絶交だ!」と言っても、次の日になると「昨日はごめん……。やっぱり遊ぼう……」と仲直りできました。
中学生や高校生になると、そんな簡単にはいきません。
「そんな簡単に謝れるか!」という「我慢」の心が強くなるからでしょう。
大人になってケンカすると、さらに仲直りが難しくなります。お互いに「向こうが謝るまでは絶対に謝らない」と「我慢」は年を増すごとに強くなるようです。
ちょっとしたことなのに、自分の非を認められず、離れ離れになる夫婦や友達、恋人はどれほどいるか分かりません。
「ごめんなさい」「悪かった」と素直に言えたら、かけがえのない人を失わずに済んだのに。そんな後悔が年とともに増えていきます。
私たちの意地やプライドは、大切な人たちを失ってまで守らなければならないほど大層なものなのでしょうか。
ほとんどの場合、後で振り返ると、くだらないことにこだわっていたと後悔するのです。素顔の自分は「本当は謝りたい」と思っていながら、意地やプライドがじゃまをして言葉にできず、失いたくない人が自分から離れていくのを後悔しながら、どうしようもできずにいるのです。
そんな時、勇気を出して、素直に謝ってみましょう。勇気がいるかもしれませんが、大事な人を失う心の痛みと後悔に比べたら、大したことはありません。
まず形からでもいいのです。「ごめん、悪かった」と言ってみましょう。
今からでも遅くはないのです。
素顔の自分で接すれば、相手も素顔で接してくれるのです。
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