お悩み
夫への不満ばかり目について、感謝できなくなってきています。これではいけないとは思うのですが……。
お答え
「身近な人になればなるほど、感謝ができない」という相談をよく受けます。
身近な人とは、自分の両親や自分の夫・妻、子供、長年つきあっている彼氏・彼女といった人たちのことです。
私たちは、隣近所の住人や会社の上司、取引相手には気をつかって、丁寧な応対をします。これは嫌われたくないからですね。
ところが、身近な人になると、簡単なことでは嫌われない、愛想を尽かされることはないと甘えているのか、だんだんものぐさになってきます。お礼や感謝の一言も言わなくなってしまうことがよくあります。
「嫌われていない」「愛されている」という安心感はとても大事なのですが、そこに甘えてしまうと、家族であってもぎくしゃくしてきます。
お釈迦さまは、親切にすべき相手を3つの田んぼに例えて教えられています。
これを「三田」(さんでん)といい、
「悲田(ひでん: 本当に困っている人)」
「恩田(おんでん: ご恩を受けている人)」
「敬田(きょうでん: 敬うに値する人)」
の3つになります。
この三田(さんでん)の人たちに親切をすると、何倍にもなって「幸せ」という結果があなたにやってきます。
田んぼは、秋になると、春にまいたモミダネとは比較にならないほどたくさんの米が収穫できます。だから、お釈迦さまは田んぼに例えられたのです。
中でも恩田(おんでん)とは、ご恩を受けた人ですから、自分を支えてくれている人になります。だから、赤の他人よりも、自分を支えてくれている身近な人を大事にしなさいと教えられています。
ところが、私たちは往々にして、その逆になってしまっています。
「父母恩重経」(ふぼおんじゅうきょう)という、両親の恩について詳しく説かれた仏典にこんな一節があります。
既(すで)にして婦妻を娶(めと)れば、父母にそむき違(たが)うこと恩無き人の如く、兄弟を憎み嫌うこと怨(うらみ)ある者の如し。
妻の親族 訪(と)い来(きた)れば、堂(どう)に昇(のぼ)せて饗応(きょうおう)し、室(しつ)に入れて歓晤(かんご)す。
ああ、ああ、衆生(しゅじょう)顛倒(てんどう)して、親しき者は却(かえ)りて疎(うと)み、疎(うと)き者は却(かえ)りて親しむ。
この意味は、結婚して所帯を持つと、両親にはまるで、他人のように接し、兄弟とはケンカした相手のように疎遠になる。そのくせ、妻の家族がやってくるとチヤホヤもてなす、ということです。
長い間身近で自分を支えてくれた人は粗末にして、関係ができて日の浅い人をチヤホヤしているのでは、全く逆さまではないでしょうか。
たしかに、両親や夫婦、家族など、身近な人であればあるほど、嫌な部分も見えてきますから、他人のように距離をとって行儀よく接するのは難しくなります。身近な人だからこそ、「ああしてくれなかった」「こうしてくれなかった」という不満も出てきます。
でも、身近な人とは、時間的にも精神的にも、あなたと最も一緒にいることが多い人たちです。その身近な人が大事に思えなかったら、あなたはいつも寂しく苦しい思いをしなければならなくなると思います。
逆に、身近にいてあなたを支えてくれている人を大事にすると、あなたの毎日は感謝の喜びで満たされるのです。
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