便利ちゃんだと思われている


 

お悩み

 どうも私は周りから便利な人と思われているようです。ものを頼まれると断れません。
 しかしそれは私を信頼しているから頼むのではなく、頼めばやってくれると思われてしまっているかんじです。
 こんな自分が嫌です。でも断る勇気もありません。



お答え

 私たちは、多かれ少なかれ、他人の評価を気にしています。

 いい人だと思われたくて、相手に合わせたり、嫌われたくないから、嫌なことでも断われないということは、誰にでもあるでしょう。


 ある女性の方から、

「私は、周りに自分を合わせてばかりで生きてきました。だから、生きているっていう実感や喜びが、あまり感じられていない気がするんです」

 という相談を受けたことがあります。

 この方は、物心ついたときから、親や学校の先生、友達から、「いい子だ」といわれて育ったのですが、「いい子」でいなければならないという思いにしばられ、ずっと自分の気持ちを押し殺してきたそうです。

 休みの日に、ひとりで家でゆっくりしたいのに、友達に誘われると、無理をして食事に出かける。
 早く帰りたい日でも、上司から仕事を頼まれると、断れず、受けてしまう。
 恋人とつきあっても、なかなか自分の気持ちや本音が言えない。

 自分がどうしたいかよりも、周りからどう見られているかばかりを気にして、自分の人生を生きているような実感がないというのです。


 多かれ少なかれ程度の差はありますが、この方のように、周りからどう思われるかにしばられて自分らしい人生を歩むことができていないと感じる方は多いのではないでしょうか。

 しかし、私たちは、誰かの期待通りになるために生きているわけではありません。
 あなたの人生はあなたのものです。

 もし、あなたが、周りの目や期待を気にし、嫌われるのが怖くて、自分の本当の気持ちを我慢し続けなければならないのなら、せっかく生まれてきた一度っきりの人生、とてももったいないことになりませんか?


 お釈迦さまは、

「皆にてほめる人はなく、皆にてそしる人はなし」

 と言われています。

 人間の好き嫌いは、その人の都合によって決まりますから、どんなに立派な人でも、全ての人から好かれることはなく、どんなに嫌われている人でも、全ての人から嫌われることはないという意味です。

 

 

 人それぞれ、立場や都合は違います。
 ですから、たくさんの人が集まれば、全員の都合や利害が一致することは絶対にありません。

 お釈迦さまが生きておられたとき、当時の人たちの3分の1はお釈迦さまの存在を知らず、3分の1は変なやつが現れたと非難し、残りの3分の1が尊い方だと称賛したといわれています。


 お釈迦さまでさえ、そうなのですから、私たちがみんなから嫌われずに、好かれるなんて、とてもできないことなのです。


 ところが、そんな不可能なことを何とか実現しようとして、無理に「いい人」の仮面をかぶって、くたびれてしまう人が多くいます。

 他人がそれぞれあなたに要求する「いい人」のタイプは違います。
 たくさんの人の要求に応じようとしたら、たくさんの仮面を用意しなくてはなりませんが、それには限界があります。

 誰にとってもいい人でいることは、不可能なのです。


 逆に、あなたがどんな状況であっても、「皆にてそしる人はなし」とお釈迦さまは言われています。

 皆から嫌われるということも、決してないのです。

 あなた自身の本当の気持ちを大事にして、あなた自身の人生を生きましょう。

 

 

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2018年09月09日