お悩み
結婚していますが倦怠期に入っています。離婚したいとまでは思わないのですが……どうしたら新婚のときのあの気持ちに戻れるでしょうか?
お答え
私たちは、生涯でさまざまな人たちと出会います。その中でも、お互いを好きになってつきあい始めたり、一緒にいて楽しく思えたり、さらには結婚して一緒に生きていこうと誓い合ったりする人との出会いは、本当にかけがえのない出会いでしょう。
ところが、一緒に生活するようになってしばらくたつと、一緒にいるのが煩わしくなったり、退屈になったり、相手の嫌なところばかりが目についてきます。
昔は一緒にいるだけでとても幸せな気持ちになれたのに、なんで一緒にいるのがストレスになるのだろうと、落ち込む人も多いようです。
ですが、遅かれ早かれ、どんなカップルにも必ず倦怠期というものは訪れます。
どうして好きで一緒になったのに、しばらくすると一緒にいるのが退屈になったり、苦痛になったりするのでしょうか。
一言でいえば、「慣れ」のせいです。一緒に過ごす回数や時間が長くなると、相手は完全に自分のものになったと思い込みます。相手が一緒にいるのが当たり前で、自分の元から離れていくことなんてないだろうと安心して、相手に対して気を遣わなくなるのです。
相手の前でつまらなそうにしたり、身だしなみに無頓着になったり、相手に不満をぶつけたりするようになる。
そして、出会った時のトキメキや新鮮さがなくなって、そのまま破局を迎えることも少なくありません。
お互いを好きになれるなんてめったにないことなのに、どうしたら出会ったあの時の新鮮な気持ちに戻ることができるのでしょうか。
ここで、出会いと別れについて考えてみましょう。
不思議なもので、人は好きだから一緒にいられるわけでもなく、嫌いだから別れられるわけでもありません。
職場の先輩が嫌いだといっても、簡単には転職できませんから、忍耐して何年も一緒に働くこともあります。
家族でも、姑(夫の母親)が嫌でしかたがないけれど、家を出ていくわけにもいかないから、何十年も一緒に住んで、介護までしているという人もいます。
人との縁とは、嫌いだからといって簡単に切れるものではないのです。
ところが、好きだからといって、ずっと一緒にいられるものでもありません。
お互い愛し合っているけれど、仕事の失敗、相手や自分の両親の事情などによって、一緒になることをあきらめざるをえない状況だってあります。
子供同士でしたら、親友が転校して、別れ別れになってしまうこともあるでしょう。
最悪、病気や突然の事故で死別することもあります。
仏教では、これを「会者定離」(えしゃじょうり)といいます。
好きだからといって、ずっと一緒にいられない。出会ったら、必ず離れていかなければならない。これがこの世の定めなのだという教えです。
長くつきあったり、一緒に暮らせば暮らすほど、相手の存在が当たり前に思えてきます。
けれど実はそうではないのです。
皆しばらくの間のご縁なのです。
遅いか早いかの違いはあるものの、やがて別れがやってきます。
「いて当たり前」と思うから、退屈になったり、相手に対してぞんざいになったりします。
生涯で二人が一緒に過ごせる時間は、あとどれだけなのでしょうか。
「限りがある」ということが分かれば、相手を自然と大切にできるはずです。
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