罪を犯したが更正したい


 

お悩み

 罪をおかした自分をどう許していいのか分かりません。



お答え

 朝のニュース番組や週刊誌を見ると、さまざまな犯罪が報道されています。
 重大事件の犯人に対して「信じられない。それでも人間か」「なんであんなことをしたのか」などと、厳しい批判が浴びせられます。

 もちろん、やった行為は許されるものではありませんが、そのようなニュースを聞きながら、
「自分は善人だ。罪を犯した者は悪人だ」
と、見下している心がないでしょうか。


 私たちは、遠い過去から今まで、体や口や心で、いろんなタネまきをしています。
 口や体では、法律にふれることはしていなくても、心の中では、とても人には言えないことを思っていないでしょうか。

 他人の物でも、「いいな」と思ったら、「欲しい」という心がうごめきます。
 自分の気に入らないことを言われたら、カッと腹を立ててしまいます。
 自分よりもすぐれた人を見ると、ねたんだり、うらんだりしてしまいます。

「体や、口ではやらなくても、心の中では、とても人には言えない恐ろしいことを思い続けているのが、全ての人間の本当の姿なのだよ」
と、お釈迦さまは言われます。


 鎌倉時代の親鸞聖人(しんらんしょうにん)は、有名な『歎異抄』(たんにしょう)の中に、

「さるべき業縁(ごうえん)のもよおせば、いかなる振る舞いもすべし」

と言われています。
「縁さえ来れば、どんな恐ろしいことでもやってしまう自分である」
と告白されています。

 

 

 この『歎異抄』の言葉を、大阪で開催した勉強会で話をしていた時のことです。

 がっちりした体格に、派手な服装をした男性が聞きに来られていました。
「怖そうな人だな」とドキドキしていたのですが、話の途中で突然、うつむいて、泣きだしてしまわれたのです。休み時間に話を聞くと、次のように言われました。


「俺は、家も貧しく、両親も病気がちで、子供の頃、あまり親から構ってもらわれへんかった。クラスの同級生は、みんな、『親におもちゃを買ってもらった』とか『土日に、遊びに連れていってもらった』と楽しそうに話してるんや。それが、悔しくて、つらくて、そのイライラを同級生にぶつけずにおれんかったんや。
 ところが、学校の先生は、俺を一方的に叱るんや。今思えば、自分が、乱暴だったんでしかたがないんやけど、子供の時は、『なんで自分だけ』と苦しくて、悔しくて、しかたなかった。
 中学になると、問題児というレッテルを張られて、同じような奴らとしか行動せんかった。面白半分で、万引きしたり、バイクを盗んだりしているうちに、警察に厄介になった。そうなるとやっぱり、学校の先生も同級生も、自分を根っからの悪者みたいに見て、誰も自分をちゃんと見てくれへんかった。ますます、やけになって、そんなことの繰り返しだった。
 別に悪いことをしたくてしたわけやない。自分のこと、誰も分かってくれようとしないし、自分だけを悪人みたいに見てる奴らの言うことなんか、とても聞けなくて……。
 今日の話で、初めて自分のこと、分かってくれたと思ったんです。そしたら、人前で泣いたことなんてないのに……」

と、がっちりした肩を震わせて、言葉を詰まらせながら語られるのです。

「縁さえ来れば何でもしてしまうのが全ての人間である」という親鸞聖人の言葉の深さを、私自身、この男性を通して知らされたのです。


 私たちには、縁が来れば、どんなことでもやってしまいかねない心があります。
 このことをよく知ってこそ、なるべく悪い縁を避けて、よい縁を選ぼうという気持ちになります。

 また、一方的に相手を悪い人、と決めつけるのではなく、「自分も同じ環境、立場だったら、どうしただろうか……」と相手を理解しようとする気持ちも、生まれてくるのです。

 

 

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2018年07月28日