お悩み
以前に、目立とうとして周りから叩かれた苦い経験があります。そのとき自分のどこがいけなかったのかは察しがついて、改めたつもりですが、嫌われないために何か心がけたらいいことがあれば教えてください。
お答え
お釈迦さまは、人間はみんな孤独であると説かれています。
みんな、寂しい孤独を抱えていますから、自分に注目してもらいたい、自分を認めてもらいたいという強い気持ちを持っています。
この気持ちを活かして、多くの人に貢献することができればとても素晴らしいこと。
ですが、場合によっては、周りからの関心を得たいために、本来、反省しなければならないことを自慢のネタにしてしまうことがあります。
そのような心を、仏教では「邪慢(じゃまん)」といいます。
とても誇れるようなことではないことを、自慢する心です。
泥棒が、いかに素早く人の物を盗めるかを自慢し、殺人犯が、いかに残虐に人を殺してきたかを自慢したということを聞くと、あきれてしまいますよね。
ですが私たちも、自慢のネタがなくなると、とても人には言えないことでも自慢のタネにしてしまう場合があります。
学生時代、試験で赤点を取ったり、単位を落とした友人が「聞いてくれ、また、赤点取って単位を落としちゃったよ」と自慢げに言っていました。
自虐ネタも多少なら、その人の人間らしさや、意外な一面が知られて、親近感がわくこともありますが、あまり度がすぎると危険です。
お笑い芸人のように、それ自体をプロの仕事と割り切ってやっている場合は別ですが、自虐ネタが口グセのようになってしまうと、周りからの評価だけでなく、自信までもどんどん失いかねませんから、注意しなければなりません。
かくいう私も、高校時代、他人がやらない奇抜な行動をして、クラスメートの関心を集めようとしていた時期がありました。
そんなときに、ある動物クイズ番組を見て、そんな自分の姿に気づかされたことがあります。
ある動物園の年老いたオランウータンは、愛くるしいしぐさで人気者でした。来園した人は、その一挙手一投足に歓声を投げかけていました。
ところが、人気は長く続くものではありません。
ある日、かわいい子供のオランウータンが動物園に迎え入れられると、来園者の関心はその子供オランウータンに移り、見向きもされなくなったのです。
もう、自分はいてもいなくてもいいんだ、みんなから完全に忘れ去られてしまった、と感じている様子のおじいさんオランウータンからは、哀愁が漂っていました。
ところが、そのおじいさんオランウータンは何を血迷ったか、とんでもない奇行に走ったのです。
ある日突然、観客に向かって、自分の大便を投げつけはじめたのです。
おじいさんオランウータンが投げつけるたびに、キャーという悲鳴が聞こえます。
その瞬間、自分に熱い視線が注がれたのが、快感だったのでしょうか。来園者からの注目を取り戻すために、おじいさんオランウータンは奇行を繰り返すのでした。
その番組を見ていた私は、笑うに笑えず、思わず冷や汗をかきました。
「このオランウータン、自分と同じだ」と思ったのです。
人と違う言動をとることで個性を主張し、人が眉をひそめることをしてでも、まわりから注目をあびたい。
そんな自分の心をオランウータンに見透かされたようで、ドキッとしたのを覚えています。
それから、自虐的な話や、奇抜な行動を控えるようになりました。
人が聞くとあきれるようなことを、自慢のネタにしてしまうときがありますが、それで得られるのは、かりそめの賞賛や注目でしかないことが多いです。
自分のダメな部分をネタにしすぎて、セルフイメージまでがその通りに固まってしまうのは、とても恐ろしいこと。心したいものです。
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