お悩み
妻とよくケンカをしますが、妻は絶対に自分の主張を曲げません。明らかにこちらが正しいことであっても絶対に向こうから折れてきません。
いくら口で言っても聞かないので、手が出そうになったことが何度もあります。
いまのところなんとか抑えることができていますが、いつか手をあげてしまいそうで不安です。
お答え
腹が立ったとき、私たちは「自分が正しく、相手が悪い」と思います。
自分が悪く、相手が正しいのに怒って相手を責める人はありません。
腹を立て、相手を責めているときには、かならず「自分は正しく、相手が悪い」という思いがあります。
もちろん、客観的に見て、相手に非があり、自分には非がないことも多いでしょうが、正義は自分にありと思うと、怒りは正当化され、ますます深まっていきますから、気をつけなければなりません。
自分が正しい、相手が悪いとなると、自分の怒るのは当然で、相手を責めることが正当化されます。
そうすると相手は加害者であり、自分は被害者という構図が固まりますから、ますます、相手にされたことに目が行き、怒りや憎しみが深まっていきます。
最初はそれほどでなくても、もんもんと心の中で思っているうちに、よけい腹が立ってしまうということはないでしょうか。
このとき大事なのは、どちらに非があるかは別として、自分が正義だと思うことの恐ろしさをよく知っておくことです。
人間は、自分が正義だと思ったときに、相手の事情や都合はおかまいなしで、どんなにひどいことでもやってしまいます。
世界の戦争や、紛争、テロを見ても、それぞれが、それぞれの正義の名のもとに殺し合いをしています。
そして、自分たちが正義だと思うと、一般市民にも残虐行為をしてしまいます。
数年前、正義の味方と悪の組織の違いというのがネットで話題になりました。
その中で、「正義の味方はいつも怒っている」という一言がありました。みょうに納得したのを覚えています。
たしかに、仮面ライダーのような正義の味方は、悪の組織に対して、ためらいなく怒りをぶつけています。
しかし、見方を変えてみると、仮面ライダーにバッタバッタと倒されていく名もなき怪人たちにも、家族はあるだろうし、いろいろな事情があって、地球征服に加担しているのではないかと思われます。
場合によっては、組織にだまされたり、脅されたり、家族に仕送りをするために、不本意に駆り出された人もあるでしょう。
そういう怪人たちに、容赦なく、岩をも砕くケリを入れたり、バイクでハネ飛ばしていくのを見て、「正義とは恐ろしいものだ」と思ったことがあります。
テレビや映画の世界ならいざ知らず、現実、私たちの社会の中で、一方的に相手が悪く、一方的に自分が正しいということはあるのでしょうか。
聖徳太子は、仏教の教えに基づいて、このように言われています。
「我必ず聖(ひじり)に非(あら)ず。彼必ず愚かに非ず。共に是(こ)れ凡夫(ぼんぶ)のみ」
(私が一方的に正しいということも、相手が一方的に間違っていることもない。ともにこれ間違いだらけの凡夫なのだから)
凡夫とは、人間のことです。
私たちは、欲や怒り、ねたみといった煩悩のかたまりです。
その煩悩のかたまりである人間同士、どちらかが一方的に正しい、間違いということはないでしょう。
相手の立場に立つと、それなりの理由や事情があり、場合によっては、相手の立場に立つと、相手の言いぶんもスジが通っていることもあります。
怒りや憎しみは、自分が正義だと思えば思うほど、岩に刻み込まれるように深まってしまうもの。
イライラしたり、怒りや憎しみの心が出てきたときは、なるべく、その深みにはまらないように距離をおくことが大事です。
気分転換に、運動をする。音楽を聴く。テレビを見る。ゆっくり眠る。
そうして、負のスパイラルにはまらないように心がけましょう。
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