お悩み
「願い続ければ夢は叶う」と信じてがんばってきましたが、現実を考えると、これ以上がんばり続けるわけにいかないし、がんばれません。
お答え
「あきらめてはいけない、がんばることが大事なんだ」と励まされることがあります。
多くの場合、あきらめずにがんばることは、自分の夢の実現や成功に近づくことになりますから、よいことでしょう。
しかし、人間にはそれぞれ個性があり、得意、不得意があります。
ですから、がんばればできることと、がんばってもできないことがあります。
がんばればできることなら、あきらめてはもったいない。
けれど、できないことを無理してがんばり続けても、苦しいだけではないでしょうか。
「できることはできる、できないことはできない」と物事を正しく見ることが大事だと、お釈迦さまは教えられています。
どうしてもこれ以上は難しい、自分には合わないとあきらかに見たならば、それを認めてやめることも、時には大切です。
こんな話があります。
ある医者が妻子をなくし、世をはかなんで、有名な僧侶に弟子入りを願い出ました。
僧侶は、
「それでは、なんでも私の言うことが聞けるかな」
「はい、なんでも従います」
「よし、それじゃ、そこにあるほうきで庭を掃(は)きなさい」
男は素直に「はい」と答え、一心に庭を掃き続けました。
しかし、いつまでたっても、僧侶はやめろと言いません。
「まだ、掃くんでしょうか」
とたずねると、
「まだ分からんのか」
と怒鳴るだけ。
「何をだろう?」
男は深く考え込みますが、さっぱり分からない。
あたりはもう夕闇に包まれ、ついに男は精根尽き、両手をついて僧侶にたずねました。
「よいか。おまえは精一杯掃き続けているが、掃いても掃いても木の葉が落ちてなくならないだろう。
おまえが仏門に入って、心を浄(きよ)くしようと思うのも同じことだ。
払っても払っても、欲や怒りの心は、尽きはしない。
それよりも、世を捨てた覚悟で、医療で他人を救うのだ」
と言ったといいます。
その男にとって、世を捨て悟りの道を求めるよりも、医者として多くの人を救うことが、仏の心にかなっていると、その僧侶は思ったのでしょう。
だから、できないことを、できないと分からせて、その男の長所を最も活かせる道を示したのです。
人にはそれぞれ、できることとできないことがあります。
仏教では、
「できるのに、できないと投げ出してしまうのは、『懈怠(けたい)』といい、なまけである。
だが、できないことをできないとあきらかに見ることは『諦観(たいかん)』といい、賢明なことなのだ」
と教えているのです。
物事をあきらかに見て、できることなら、全力で前進する。
できないことなら、それはくやめて、別の道を模索すればいいのです。
「やめてはいけない」と固執する必要はありません。
できないことはできないと正しく見て、柔軟に対応していくことが大事です。
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