部下にどう仕事を与えるか


 

お悩み

 初めて部下を持ち、緊張しています。どうすれば良い組織をつくり、部下も伸ばしてやれるでしょうか。

 

お答え

 ノーベル賞を受賞した環境保護の活動家・故ワンガリ・マータイさんは、日本に「もったいない」という考え方があることを知り感激したといいます。


 私たちが日常的に使っているこの「もったいない」という言葉も、「ありがとう」と同じく、仏教から出てきた言葉です。

「もったいない」とは、「勿体ない」と書きます。

「勿体」とは、物の本来のあるべき姿という意味ですから、「勿体ない」とは、そのものの本来のあるべき姿でないということです。


 まだ食べることができるのに、捨ててしまうと、「食べ物を粗末にしてはいけない。もったいないじゃないか」と言いますよね。

 食べ物は、それを食して、私たちの命をつなぐためにあるもの。それを食べずに捨ててしまうのは、食べ物の本来あるべき姿ではないから、もったいないということですね。


 水や電気、資源を無駄に使うことを、
「もったいない使い方をしてはいけない」
といいますが、きちんと活用すれば、多くの人の生活をより快適にすることができるのだから、無駄な使い方は、本来の使い方ではないということです。


 才能があるのに、それを眠らせている人を、「もったいないな」といいますが、せっかく人より優れた才能があり、それを発揮させれば、もっと輝く存在になることができるのに、そうなっていないのは、本来のその人の姿ではないというということでしょう。

 そのものの本来の姿を活かしきるという精神が、もったいないという言葉の奥にあるのです。

 

 

 このことを教えた、お釈迦さまのお弟子のエピソードがあります。

 お釈迦さまのお弟子・阿難(アナン)は、美男子で有名でした。
 ある国の王様に招かれて説法をしたところ、城中の500人の女性は、阿難(アナン)の話に感動し、お礼に王様からもらったばかりの高価な衣を阿難に布施したのです。

 翌日、王が、朝食の準備をしている女たちの姿を見ると、皆、古い着物を着ています。
 驚いた王は、

「なぜ、わしが与えた新しい衣を着ないのだ」

 問うと、彼女たちからは、

「はい、仏教を聞かせていただいたお礼に、布施いたしました」

 という答えが返ってきます。

 腹を立てた王は、すぐに阿難(アナン)を城へ呼び出し、問いただしました。

「お前は、500枚もの衣を受け取ったと聞くが、そんなに多くの衣がどうして必要なのだ?」

「お釈迦さまには、たくさんのお弟子がありますから、くださった方の心をありがたく受け取り、皆と分け合いたいと思います」


 この王様は普段から、お釈迦さまのお話を聞いていましたので、そういわれると反論できません。しかし、ここで引き下がるのも悔しく、さらに追及をしていきます。


「では、これまで着ていた衣は捨てるのか? それも誰かから頂いたものだろう?」

「捨てはしません。下着に作り替えます」

「では、古い下着はどうするのだ」

「ぬいあわせて、敷き布団にします」

「それまで使っていた布団はどうする」

「敷物にします」

「古い敷物は」

「足をふく雑巾にします」

「古くなった雑巾は」

「細かく裂いて、床や壁に塗る泥に混ぜて使います。私たちは施しを受けた物を、決して無駄には致しません」


 王様は、釈迦の弟子たちが物を粗末にせず、どこまでも生かして使うことを知って、心から敬服したのでした。


 相手も自分も、すべてのものを活かしきるという精神が「もったいない」ということです。

 あらためて、自分や周囲を見つめなおしてみると、もっと、自分の持ち味を生かせるのでないだろうか? 〇〇さんの長所をもっと、活かせるのでは?

 使っていない素材や資材を有効活用することを考えれば、工夫ひとつで活かせるものが見えてきます。

 もったいないの精神をぜひ胸において日々を過ごしたいものです。

 

 

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2018年08月30日