運命は与えられたものか、つくりだすものか


 

お悩み

 運命はすでに決まっているとか神サマが与えているとか、納得がいきません。運命とは自分で切り開くものではないのでしょうか。
 とはいえ、何か自分以外の力がはたらいているような気もして、自信ないです……。仏教ではどう教えていますか?

 

お答え

 ヒマワリの種をまくと、ヒマワリの花が咲きます。アサガオの種をまくと、アサガオの花が咲きます。
 まいた種に応じて結果が現れます。

 これは、私たちの運命においても同じです。
 お釈迦さまは、運命について、次のように教えられています。


  善因善果(ぜんいんぜんか)……よいタネからはよい結果

  悪因悪果(あくいんあっか)……悪いタネからは悪い結果

  自因自果(じいんじか)……自分のまいたタネまきの結果は、自分に現れる


「よい結果」とは、幸せということ、「よいタネ」とは、幸せのタネということです。
「悪い結果」とは、苦しみや不幸のこと、「悪いタネ」とは、苦しみのタネということです。

 そして、お釈迦さまがタネといわれているのは、私たちの行いのことですから、言い換えると、

「幸せのタネをまくと、幸せの花が咲く。
 苦しみのタネをまくと、苦しみの花が咲く。
 タネとは、あなたの行いですよ」

ということになります。


 その人の行いに応じた結果が、その人に現れるのですから、幸せになりたければ、幸せのタネをまきなさい、と教え勧められているのです。

 

 

 行いのことを、仏教では「業」(ごう)ともいいます。
 仏教では、私たちの行いを、体と口と心の3つの方面から見つめます。

 動く、走る、掃除をするなどの、体の行いを、「身業」(しんごう)といいます。
 話す、褒める、悪口を言うなどの、口の行いを、「口業」(くごう)といいます。
 きれいだなと思う、お金が儲かる方法を考えるなどの、心の行いを、「意業」(いごう)といいます。

 体と口と心の3つの行いが、私たちの運命を生み出しているのですよ、と教えるのが仏教です。

 何気なくやったり、言ったり、思ったりしていることも、自分の幸せ、不幸せを生み出すタネだと思うと、いいかげんにはできませんね。


 植物の種に、花を咲かせる力が宿っているように、行いにも結果を生み出す力があります。この力を仏教で「業力」(ごうりき)といわれます。

 1951年、千葉市で、弥生時代(約2000年前)のハスの種が発見されました。発芽を試みたところ、ピンクの見事な花を咲かせ、世界を驚かせました。
 1粒のハスの種が、2000年間、花を咲かせる力をずっと蓄え続けていたことに、感動する人は多いでしょう。

 このハスの種のように、私たちの行いには、結果という花を咲かせる強い力があると教えられているのです。


 私たちの運命を生み出す「業力」(ごうりき)は、とても強い力を持っているので、仏教では、「大象(だいぞう)百頭よりも強い」といわれています。

 動物の中で一番の力持ちは象でしょう。業力は、その象、百頭の力よりも強いといわれますから、大変な強さなのです。


「誰も見ていなくても、私たちが言ったり、やったり、思ったりした行いは、結果を生み出す力となって、消えずに、その人自身に宿るのだよ」
と、お釈迦さまは説かれます。

 これを「業力不滅」(ごうりきふめつ)とか、「不滅の業力」といわれます。
 その力が、あなたの運命を生み出しているのです。

 

 

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2018年07月19日