お悩み
考えれば考えるほど自分がこの世に存在していることが無意味に思います。いまこの瞬間、私ひとりがこの世からパッと消えても世界には何の影響もありません。
生きていることがむなしいです。
お答え
自分のがんばりや、努力を認めてもらえなかったり、自分の気持ちや悩みを分かってもらえなかったとき、私たちは、ひとりぼっちだと孤独感を感じます。
自分なんていなくてもいいんだと自分を責めて落ち込むこともあります。
お釈迦さまは、「人間は分かり合えず孤独かもしれないが、だれともつながりがなく孤立している人はいないのだよ」とおっしゃっています。
この世界にいるどんな人も、必ず誰かと何かでつながり、互いに支えあっているのです。
このことをよく知ると、確かに人間同士分かり合えない寂しさはあるけれど、つながりの中でいきている、ひとりぼっちではないと分かります。
仏教では、つながりのことを「縁(えん)」といいます。
そして、あらゆるものごとは、つながりの中で生じ、起きますから、これを縁起(えんぎ)といいます。
この縁起について、お釈迦さまは次のようにおっしゃっています。
此(これ)が有れば彼(かれ)が有り、此が無ければ彼が無い。
これだけだと何のことか分かりませんから、ひとつの例でお話ししましょう。
ある島に一輪の花が咲いています。
この花はどうしてそこに咲いているのでしょうか?
それは、花のタネがあったからです。
では、タネは一体どうして、そこにあったのでしょうか?
それは、渡り鳥が果実をついばんで、そこにタネを落としたからです。
ではどうして、小鳥はその島にやってきて果実をついばんだのでしょうか。
島を取り巻く気候や、潮の流れによって、渡り鳥はその島を立ち寄ることになったのです。
先ほどのお釈迦さまの言葉に合わせてみていきますと、
潮の流れや気候があるから、鳥が島に来る。
鳥がいるから、果実をついばむ。
果実をついばむから、そこにタネを落とし、
タネを落としたから、そこに一輪の花がさいた
ということです。
どれひとつ欠けても、その花はそこに咲いてはいなかったでしょう。
このように、一輪の花が咲いてるといっても、さまざまなつながりがあってのことで、つながりのどれひとつが欠けても、花は咲きませんでした。
私たちも全く同じで、気がつくか気がつかないかの違いだけで、数えきれないつながりの中に今を生きています。
スタンレー・ミルグラムという心理学者が提唱した仮説によれば、人間は世界中のだれかと平均6人を介してつながっているといいます。
最近はSNSの普及により、4~5人ともいわれています。
平均4人から6人を介せば、世界中のだれとでもつながっているということですね。
目に見えるつながりもありますし、気がつかないつながりもあるでしょう。
しかし、どんな人も、誰かと何かでつながっています。
そして、小鳥のついばみが、一輪の花を咲かせたように、あなたの存在や行動が、誰かの何かを支えているのです。
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