お悩み
親や学校の先生から、ずっといい子だと言われてきました。でもそれは自分を押し殺して周りに合わせてきただけのことです。
大人になった今でも、いい子を演じるクセがついています。
やめたいのですが、やめたらやめたで何か自分の大事なものが崩壊してしまうような気がして恐ろしいです。どうすればいいのか分からなくなっています。
お答え
こちらの記事で、周りの評価に振り回されるのは、疲れるだけなので、やめましょうという話をしました。
しかし、さらに踏み込んでみていくと、私たちは、周りからどう思われているかに振り回されているのではなく、周りの目を気にする自分の心に振り回されているのです。
いい人だと思われたい、嫌われたくない。可愛いと思われたい、きれいだと思われたい。優秀でできる人間だと思われたい。
こういう心を仏教で、名誉欲(めいよよく)といいます。
この名誉欲のない人はいません。みんな、この心を持っています。
しかも、この名誉欲はものすごく強いのです。
浄土真宗の宗祖である親鸞聖人(しんらんしょうにん)は、
「悲しきかな、愚禿鸞(ぐとくらん)、名利(みょうり)の大山(たいせん)に迷惑して」
(ああ、情けないことだ、この親鸞、大きな山のような名誉欲と、利益欲に振り回され、迷惑している)
とご自分の心を告白されています。
親鸞聖人が名誉欲を大きな山といわれたように、私たちの「人から良く思われたい」という心は、たいへん強く大きいものです。
「お若いですね」とほめられると、お世辞だとわかっていても、ニンマリうれしい気持ちが出てきます。
洋服を試着して、店員さんから「お似合いですね」と言われると、半分は買ってほしいからだろうと思っても、自分もまんざらではないなと思うものです。
逆に、まとを得ていることでも、注意されると腹が立ちます。
このように、周りからよく思われるとうれしく、悪く思われると、腹が立ったり、不安になったりする心が名誉欲です。
周りからどう思われても、それを気にしなければ、振り回されることはないはず。
ですが、それを気にして、舞い上がったり、落ち込んだりするのは、私たちの誰もが抱える名誉欲によるものなのです。
自分がどう思われているかが気になり、不安になったとき、なんとかよく見せようとするのではなく、それを気にしている自分の心に、次のように語りかけてみてはどうでしょうか。
「みんなから好かれることもできないし、反対に、みんなから嫌われることもないのだよ、あのお釈迦さまでさえ、そうなんだから」
「見方は人それぞれ、悪く思われたからといってそれは私の全部ではない、ほんの一部のことなんだ」
「他人からの評価は、その人の都合で決められているだけ、本当の自分を見て言っているんじゃないんだ」
そうすると、不安や焦りの気持ちが落ち着いてきます。
いい人をやめられないのは、自分の心にも原因があります。
他人の評価を気にしてしまう自分の心に、お釈迦さまの教えを語りかけてみましょう。
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