「運命は決まっている」というのは、あなたを不幸にする考え方
私たちの運命は、何か超越的な存在が決めて支配しているのでしょうか?
それとも、運命は生まれつき決まっていて変えることはできないのでしょうか?
こういうことは、ふだんはあんまり考えないことかもしれません。
ところが、頑張ってもうまくいかないことが続くと、「自分は不幸の星のもとに生まれたんだ」と自虐的になってみたり、「これも定めだ、しかたがない」とあきらめてしまったり、苦しい時の神だのみで、何か超越的な存在にすがろうという気持ちになったりしてしまうことがあります。
果たして運命は何かが決めて支配しているのでしょうか? 生まれついて、もう変わらないものなのでしょうか?
これについて、昔から、運命論とか決定論といわれて、「運命は生まれた時にすでに決まっている」という考え方があります。
明日、何時から雨が降るのかもすでに決まっている。
努力に関係なく、目指す大学に受かるかどうかもすでに決まっている。
自分が結婚できるかできないかも生まれた時から決まっている。
結婚相手もすでに決まっている……、という考え方です。
今から2600年前、インドで仏教を説かれたお釈迦さまは、この「運命は生まれた時に決まっている」という考えを宿作外道(しゅくさげどう)と言われて徹底的に排斥されました。
外道とはもともと仏教の言葉で、真理から外れた教えという意味です。
なぜ、お釈迦さまが「運命は生まれた時に決まっている」という考えを外道と言われたのかというと、人間を不幸にする考え方だからです。
なぜなら、もし運命が最初から決まっているとしたら、私たちが努力したり頑張ったりすることは、全く無意味になってしまいます。だから、「努力しよう」「頑張ろう」という気持ちが出てくるはずがありません。
「努力するかどうかも、すでに決まっているのだ」と言う人がいるかもしれませんが、「努力することも最初から決まっている」なんて言われたら、ますます「頑張ろう」という気持ちはわかないでしょう。
だから、お釈迦さまは、「全ては生まれた時に決まっている」という考え方を、人間を無気力でダメにする考え方である、と否定されています。
そして、
「私たちの運命は、自分の行いによっていくらでも変えていけるのだよ」
と教えられたのです。
実際に、「運命はすでに決まっているんだ」と言っている人でも、試験前夜になれば勉強します。勉強という行為が、明日の試験の結果を変えると信じているからです。
病気になると、病院に行きます。治療を受けるという行いが、病の快復につながると信じているからです。
つらくても、リストラされないように会社に行きます。真面目に出勤して働くことが、自分の生活の安定を生み出すことを信じているからです。
本当に運命は決まっているのなら、勉強しても、病院に行っても、真面目に働いても、結果は変わらないのですから、やるだけ無意味になってしまいます。
でも、誰もそんなことを思って生きてはいません。
みんな自分の行いが自分の明日を変えていくと信じて生きています。
そして、それは間違いのないことなのです。
では、私たちの行いは、どのようにして人生の「幸せ」「不幸せ」を生み出すのでしょうか。
次のページからは、お釈迦さまの説かれた運命の原因と結果の法則をお話ししていきましょう。
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