お悩み
SNSいじめを受けていました。今はおさまりましたが、バカとか死ねとか言われていました。一時的にでもそのように思われていたことがショックで、いまだに立ち直れません。本当に死んだほうがいいんじゃないかと思います。
お答え
私たちは、いろんな人間関係の中で生きています。会社、近所、家族、学校……。1人の人間がいろんな集まりの中に属していますから、いろんな人間関係に気をつかいます。
自分が、それぞれの中で、どのように思われているのか、周りが自分をどのように評価しているのかということは、とても気になるものです。
中には、周りの目が気になって、外に出るのが怖くなって、引きこもってしまう人もあるぐらいです。
しかし、他人の評価が、全て正しいわけではありません。
その人の都合によってかなりゆがめられたり、コロコロ変わったりしています。
このことをよく知ると、必要以上に他人の評価に振り回されて、疲れなくてもすむようになります。
人間の好き嫌いやいい悪いの判断は、その人の都合によって決まります。
自分にとって都合のよい人は好きな人、自分にとって都合の悪い人は嫌いな人になってしまいます。
このことは、日常の他人に対する自分の評価を見つめてみると、よく分かることです。
学生にしてみれば、試験の採点の甘い先生は、親切で温かい人だと思ってしまいます。
逆に、採点が厳しい先生は、不親切で冷たい人だと思ってしまいます。
どちらが、自分のためになるでしょうか。
あまり勉強しなくても合格点を与えてくれる先生よりも、一生懸命勉強しないと合格点をくれない先生のほうが、より自分を高めてくれるといえます。
しかし、私たちは楽がしたいので、簡単に合格点をくれる先生のほうを「いい先生」だと思ってしまいます。
そんな学生は、教育者として「いい」か「悪い」かではなくて、自分の都合によって判断しているのです。
同じ人物に対しても都合が変わるとコロリと評価が変わることがあります。
厳しそうな職場の先輩が、ある日、自分の仕事をほめてくれると、
「あの先輩って、いい人だったんですね」
と言ったりします。
改めて「いい人だった」と言うということは、それまでは、自分にとって「悪い人」だったということです。
そんな簡単に、相手が「悪い人」から「いい人」に変わるわけはありません。
コロリと変わったのは、自分の見方なのです。
「都合」というのは、人によっても、時と場所によってもコロコロ変わります。
たくさんの人が集まれば集まるほど、全員の都合や利害が一致することは難しくなります。
お釈迦さまの名声をねたんで、ダイバダッタという男が、3度も暗殺をくわだてたといわれています。
どんな立派な人でも、その人を誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)する者は現れるのです。
お釈迦さまでさえもそうなのですから、私たちが、みんなから称賛されたり、みんなから受け入れられたりすることはありえません。
他人の評価というのは、その時その時の都合で変わるものですから、自分が疲れてしまうほどに、気にする必要はないのです。
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