お悩み
頭が悪い私はいくら努力してもしかたがないと思います。生まれつき頭のいい人にはどうやっても勝てませんし、努力しても報われない人は報われないのではないですか。
お答え
仏教では、努力のことを「精進(しょうじん)」といいます。
精進料理という食事から、肉を食べないことを精進だと思っている人もありますが、そうではありません。
精進とは、精一杯進むということで、努力することをいうのです。
そしてこの「精進」が、お釈迦さまが六波羅蜜(ろくはらみつ)の4番目に説かれたことでした。
お釈迦さまは、
「まいたタネは、遅いか早いかの違いがあるだけで、必ず花ひらく」
と教えていかれました。
芽が出るかどうかをすぐに気にしてしまいますが、まいたタネは必ずひらくのだから、地道な努力が大切だと教えられています。
地道なたゆまぬ努力の大切さを、お釈迦さまがお弟子に教えられたお話があります。
お釈迦さまのお弟子のひとり、シュリハンドクは、生まれつき智慧が足りず、自分の名前を覚えることさえできませんでした。
昼食の時間にお釈迦さまがいらっしゃると、シュリハンドクの姿が見当たりません。そこにいた弟子たちに、
「ハンドクはどうしたのだ」
とたずねられると、
「どこか道にでも迷ったのでしょう。そのうち、帰ってくると思います」
と冷たい返事です。
するとお釈迦さまは、
「お前たちは、仲間に対してなんて冷たいのだ、お前たちが探しに行かないのなら、私が探しに行く」
と弟子たちを叱り、ご自身でハンドクを探しに行かれたのです。
しばらくすると、こかげでシクシク泣いているハンドクの姿を見つけられました。
「どうした、ハンドク。具合が悪いのか?」
「いえ、どこも悪いところはないのですが、どうして自分はこんなに愚かなんだろう、みんなの足を引っ張ってばかりなんだろうと思うと情けなくて、情けなくて……」
ハンドクは、わんわん泣き出しました。
すると、お釈迦さまは、
「悲しむ必要はない。お前は、自分の愚かさを知っている。世の中には、本当は愚かなのに、自分は賢いと思っている愚か者が多い。愚かさを知ることは、最も悟りに近いのだよ」
と優しく慰められました。
そして、一本のほうきと「ちりを払わん、あかを除かん」の言葉を授け、ハンドクに毎日掃除をすることを勧められました。
ハンドクはお釈迦さまのおっしゃる通りにしようと決意しましたが、「ちりを払わん、あかを除かん」の言葉がなかなか覚えられません。
言葉が詰まるたびに、後ろでお釈迦さまが、「あかを除かんじゃ」とおっしゃる。
これを何回も繰り返すうちにようやく、ひとりで言えるようになりました。
ハンドクは、毎日、掃除を続けました。
来る日も来る日も、20年間、毎日掃除をしました。
ハンドクはやがて、
「ちりやほこりは、『ある』と思っているところばかりにあるのではなく、『こんなところにはないだろう』と思っているところに、意外にあるものだ」
ということに気づきました。
そして、
「オレは愚かだと思っていたが、自分の気づかないところにこそ、どれだけ愚かなところがあるか分かったものではないぞ」
と驚きました。
このとき、ついに彼は、阿羅漢果(あらかんか)という高い悟りを開いたといわれます。
お米のように、タネをまいたその年のうちに、実りをえるものもあります。
桃栗三年というように、タネをまいて3年後に、実がなるものもあります。
タネにもすぐに実りをつけるもの、遅く実りをつけるものがありますが、まいたタネは必ず生えることは間違いありません。
目先の結果にとらわれず、地道な努力でタネまきを続けることが大事だと教えられたお話ですね。
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