自分の命が大切と思えない(1)


 

お悩み

 人命は地球より重いとか生命は尊厳だといいますが、自分の命にそんな価値があるとは思えません。むしろゴミみたいなもんじゃないかと。
 生きているだけでまるもうけだ、生まれてきたことに感謝しろといわれても、こんな紙切れみたいなうすっぺらい自分がここにいることに何の感謝をすればいいのでしょうか。
 ひとの命はどうか知りませんが、私の命は地球より重いどころか、紙切れのように軽いと感じています。
 こんな自分の命なんて、あってもなくても一緒じゃないかと思ってしまいます。

 

お答え

 「ありがとう」という言葉は、もともと、「有(あ)り難(がた)し」が語源になっています。

 この「有り難し」は、仏教に由来する言葉です。


 お経の中に、

「ひとの生を受くるは難(かた)く、いま生命あるは有り難し」

 というお言葉があります。

 私たちが人間に生まれるということは大変、難しいことだ。そして、今、生きているということは、大変、有り難いことだということです。

 人間に生まれることはいかに難しいことかを、お釈迦さまは、次のようなたとえで教えられています。
 これは、盲亀浮木(もうき ふぼく)のたとえといわれる有名なお話です。


 お釈迦さまがあるとき、アナンというお弟子に、

「お前は、人間に生まれたことをどれぐらい有り難いことと思っているのか」

 とたずねられました。
 返答に困っているアナンに、お釈迦さまは、ひとつのたとえを説かれました。


「果てしなく広がる海の底に、目の見えない亀がいる。
その盲亀は、100年に一度、海の上に顔を出すのだ。
海の上には、1本の丸太が浮いている。丸太は風のまにまに、波のまにまに、西へ東へと漂っているのだ。
その丸太の真ん中には、ちょうど亀の頭ほどの穴が、開いている。
アナンよ、100年に一度、浮かび上がるこの亀が、浮かび上がった拍子に、ひょいとこの丸太の穴に、頭を入れることがあると思うか?」


 聞かれたアナンは、驚いて、
「お釈迦さま、そんなこととても考えられません」
 と答えました。

「絶対にないと言い切れるか」

 とお釈迦さまが聞かれると、アナンは、

「何億年かける何億年、何兆年かける何兆年のあいだには、ひょっとしてあるかもしれませんが、ないといってもいいぐらい難しいことです」

 するとお釈迦さまは、

「よいかアナンよ。私たちが人間に生まれるということは、この亀が、丸太の穴に頭を入れることがあるよりも、難しいことなんだ、有り難いことなのだよ」

 とおっしゃったといいます。


「有ることが難しい」と書いて、有り難いといいます。

 あなたがこの世に生まれ、生きているということは大変、有ることが難しい、有り難いことなのです。

 両親が出会わなければ、どこかですれ違っていたら、今の自分はここにいなかったでしょう。何かの歯車が少しずれていただけで、私はこの世に存在しなかったかもしれません。

 そう考えると、この世に生まれ、今生きているということは、大変、ありがたいことなのです。

 

 

 ありがとうはここから由来しているといわれますが、この「ありがとう」という言葉は、単に何かをしてくれたことへの感謝だけではなく、あなたがここにいることをよろこび、ことほぐ言葉なのです。

 生まれてくれて、ありがとう。
 ここにいてくれて、ありがとう。

 その人の存在そのものに、ありがたいと感謝する言葉ですね。


 ですから、そばにいる人に、大いにこの言葉をかけていきましょう。

 そうすることで、あなた自身の世界が幸せに満たされていきます。


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2018年10月18日