お悩み
人と関わると傷つくので、なるべく深く関わらないように生きてます。どうしようもなく寂しいです。でも人を傷つけたり傷つけられたりする苦しみに比べたら、まだ寂しいほうがいいんじゃないか。でもこのままでは生きていけそうになく、どうしていいか分からなくなっています。
お答え
三木清(みき きよし)という有名な哲学者は、
「孤独は山になく、街にある。一人の人間にあるのでなく、大勢の人間の『間』にある」
と言いました。
山に独りでいるのも寂しいことですが、たくさんの人が集まっている街の中にいながら、「自分を本当に分かってくれる人なんていないんだ」と思う孤独感のほうが、大きいのです。
こちらのページで述べたように、お釈迦さまは、
「私たちは、一人ひとりのこれまでの行いや経験が生み出した世界に生きている」
と言われています。
それは一人ひとり、全く違いますから、同じものを見ても聞いても、一人ひとり感じ方や受け止め方は変わってきます。
親しい友達といっても、夫婦といっても、全く同じ経験を共有することはできませんから、どうしても分からない部分があります。
浅いつきあいでは、気にならなくても、深くつきあっていけばいくほど、理解できない相手の部分が知らされます。
これは、努力不足というよりも、人間である以上どうしようもないことなのです。
「どうせ、人間は分かり合えないのだ」と絶望し、自分のカラの中に閉じこもって、周りをシャットアウトしてしまいたくなることもあるでしょう。
そんな私たちに対して、お釈迦さまは、
「独りぼっちなのは、あなただけではないのだよ。
みんな独りぼっちで苦しんでいるのだよ」
と言われています。
孤独で苦しんでいるのは、あなただけではないのです。
自分が分かってもらえないと苦しんでいる時、相手もまた分かってもらえないと苦しんでいるのです。
例えば、同じ会社で仕事をしていても、社長と一社員とでは全く立場が違います。
社員は、「これだけ残業をして頑張って働いているのだから、もう少し給料を上げてほしい」「仕事が多くてきつい」「もう少し、休みを増やしてほしい」「社長に自分たちのことを分かってほしい」と思っています。
社長は「もし会社がつぶれたら、社員やその家族も路頭に迷う。今の給料を支払うのが精一杯だ。もっと業績を上げてもらわないと困るのに、全く分かっていない」と思っています。
同じ屋根の下で暮らしていても、子供は親に対して、「どうして自分のことを分かってくれないんだ。いつまでも子供扱いして」と不満に思っています。
親は親で、「どれだけ苦労して育てたか、あの子は少しも分かっていない。わがままばっかり言って」と思っています。
妻は、「毎日、家事や子供のこと、近所づきあいがどれだけ大変か。食事や家の片づけだって頑張っているのに夫は全く分かってくれない」と不満に思っているかもしれません。
夫は、「毎日、家族のために朝から晩まで働いているのに、少しもねぎらいの言葉がないし、感謝もしてくれない」と寂しく思っているかもしれません。
このように、同じ会社で働いていても、同じ屋根の下で暮らしていても、自分のことを全然分かってくれないと、お互いが自分の世界の中で苦しんでいるのです。
自分だけじゃない、みんな孤独なんだ、と気がつけば、自分の寂しさを通して、相手の寂しさを理解しようという気持ちになります。
同じ病で苦しむ人は、お互いの苦しみが分かりますから、互いを思いやる気持ちが強くなります。
ヤマアラシの話に戻ると、相手の針で自分が傷つくのですから、表面的に見れば、分かってくれない相手が悪い、と相手を責めてしまいたくなるでしょう。
しかし、同時に、相手も自分の針で同じように傷ついているのです。
そのことに気がついた時、傷つき合う者同士、互いを思いやる心が生まれるのではないでしょうか。
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