人間関係で「程よい距離感」を保つ方法は「この真実」を知ること!

職場や恋愛、ご近所との人間関係で「程よい距離感」が保てず、傷ついていませんか?

私たちは一人ぼっちで生きていると寂しいので、誰かに近づいて寂しさを和らげようとしますが、ついつい距離が近くなりすぎて傷つけあってしまうことがあります。

今回は「程よい距離感」についてお話しますね。

こんな悩みや疑問がある人におすすめです

  • 程よい距離感って何だろう?
  • 程よい距離感のとり方はどうするの?
  • なんで距離感でミスってしまうのかな?

この記事を読んだら、程よい距離感になれなかった原因がわかって、いい人間関係を築きやすくなりますよ!

それでは、お話します。

程よい距離感とは?

実は、程よい距離感というのは、はっきりと決まっていません。

自分と知り合いとの間で、誰一人全く同じ距離感はなくみんなバラバラだからです。「人の数だけ距離感がある」と考えていいでしょう。

そのため「程よい距離感」はそれぞれの相手に合わせて取ることが重要になるのです。

「程よい距離感」を見つけるのは難しい

私たちは一人ぼっちは寂しいので、相手に優しさやぬくもり、愛を求めて近づいていきます。
お釈迦様のお言葉を紹介します。

人世間愛欲の中にある

これを仏教を説かれたお釈迦様はお経の中にこのように説かれました。

引用「人世間の愛欲の中に在りて」(大無量寿経)

 

これは「世間の人はみんな愛を求めている」という意味です。人間は孤独な存在なので、愛で寂しさを紛らわせたいんですね。

でも愛を求めて近づいているのに、距離感をまちがって傷ついてしますのです。

寂しさと苦痛を振り子の様に動く

このことをショーペンハウエルはこのようにも言っています。

人生は苦痛と退屈のあいだを、振り子のように揺れ動く

退屈といっているのは、寂しさと言いかえていいでしょう。
人は寂しさのあまり相手に近づくのですが、傷つけあってまた一人に戻ろうとします。

「こんなに傷つくんだったら一人のほうがいいか、、」と思って一人になろうとしますが、一人になるとさみしくなるのでまた近づいてしまい、距離感を間違って苦痛になるのです。

これを何度も繰り返してしまいまして、その姿はまるで振り子のようですね。寂しさと苦しみを行ったり来たりしてしまう…

左右に振れる振り子の中心が「程よい距離感」なんですが、中心に止まっていられません。

ショーペンハウエルの言葉は、人生の深い一面を鋭く表現しています。

ハリネズミのジレンマ

距離感で間違ってしまうたとえばなしに、ハリネズミのジレンマがありますね。

ハリネズミは距離が近すぎると針が刺さって痛いんですが、離れるとさみしくなるのでまた近づき痛みを受ける。

この話も人間が寂しさと苦しみを繰り返していることを表現しています。

では距離感を間違う理由はどういったことがあるのでしょうか?

程よい距離感がとれない理由は?

この答えは先程出したお釈迦様の言葉にあります。

引用「人世間の愛欲の中に在りて」(大無量寿経)

 

程よい距離感が取れない理由は、私たちの「愛欲」が強く、相手に愛を求めすぎてしまうから。

相手に愛や優しさを求めすぎると負担に耐えられずあなたに怒ったり、あなたと距離をとろうとするのであなたはやはり苦しむでしょう。

自分が相手に求めすぎることで自分を苦しめてしまいますが、また相手も愛欲があるため、相手からも求められすぎて苦しむことがあります。

人間関係で「程よい距離感」は、「1m」とか「何秒以内の距離」というように数字で明確に決められればわかりやすかったんですが、そういうわけにはいきません。

どうしたら程よい距離感がつかめるのでしょうか?

距離感を保つためのコツは?

程よい距離感を保つためのコツは、「無条件に自分を受け入れてくれる人はいない」と自覚することです。

この自覚があればこれまで求めすぎていた相手への接し方をかえることができるでしょう。

私たちは仲が良かったり、愛し合っていたりすると、ついつい自分を100%受け入れてくれる運命の相手だと錯覚し、求めすぎてしまいます。

この錯覚に気づくことが重要なのです。

パーソナルスペースを知ろう

これ以上踏み込まれると強くストレスとを感じてしまう範囲が誰にでもあります。

相手が入り込んで来て許せない範囲、心理的な縄張りのことをパーソナルスペースといいます。

図にするとこんな感じでしょうか。

画像

親だから恋人だから「愛しているんだから無条件に受け入れてくれて当然だ」と思うと

ボタンの掛け違いがおきます。

「全部を受け入れる人はいない」と自覚しておくことが大事です。

受け入れることができる内容は人それぞれ

物理的な距離だけでなく、価値観においても踏み込まれたくない領域があります。

たとえばプライベート(食べ物や衣服のことなど)のことでは何を言われても流せますが、仕事のことに口出されるとなるとカチンとなって許せないという人いますね。

ほかにも親子関係のことを言われると聞き入れられないとか、ある分野に相手から踏み込まれるとり込まれてしまうともう聞けないという領域があるので注意しましょう。

心のキャパシティに限界がある

「何でも相談していいよ!」「いつでもかけつけるよ!」と言っても必ず限界があることも知っておきましょう。

相手の言葉に甘えすぎるといつのまにか「程よい距離感」が崩壊しています。

仲良く慣ればなるほど相手に使える時間とか領域は増えるでしょう。

でも限界ありますよ!

「泣きたくなったらいつでも胸を貸してあげるよ!」と言っても絶対に限界があります。

ですので、たとえば真夜中に泣きなくなったので、話をきいてもらうために電話して起こしたりするのは辞めた方が良いと思います。

相手のバケツの水は溢れさせやすい

心のキャパシティはバケツの水のように考えるとわかりやすいでしょう。

バケツの水は、いれればいれるほど必ずいっぱいになることがあります。

自分のことを考えたらわかるはずです。

ですが私たちは「相手のバケツの水は気にせずに一杯にしよう」としてしまいます。

私たちの愛欲(煩悩)は自分の欲を満たすことしか考えていないからです…

要注意です!

大事な人との“心の中のバケツ”をイメージしよう

人間関係で「程よい距離感」を保つコツは、「無条件に自分を受け入れてくれる人はいない」と自覚することです。

人間は動物と違って、理性が働きます。「無条件に自分を受け入れる人はいない」と考えれば、距離感に注意できるでしょう。

ついつい相手に求めすぎてしまうことがありますが、そんなときは大事な人との“心の中のバケツ”をイメージしてみてください。自分がどれだけ相手に求めすぎているかイメージしやすくなります。

バケツの水がたまりすぎていませんか?

「程よい距離感」を保って、お互いに幸せな人間関係を築いていきましょう。

 

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