- 般若心経の意味をわかりやすく知りたい人
- 般若心経の現代語訳を知りたい人
- 仏教について知りたい人
Contents
- 1 般若心経とは?
- 2 般若心境のあらすじは?
- 3 般若心経全文(漢訳)も紹介
- 4 般若心経と宗派の関わりについて
- 5 般若心経の功徳・効果とは?
- 6 般若心経の意味(現代語訳)
- 6.1 観自在菩薩(かんじざいぼさつ)
- 6.2 行深般若波羅蜜多時(ぎょうじんはんにゃはらみたじ)
- 6.3 照見五蘊皆空(しょうけんごうんかいくう)
- 6.4 度一切苦厄(どいっさいくやく)
- 6.5 舎利子(しゃりし)
- 6.6 色不異空空不異色(しきふいくうくうふいしき)
- 6.7 色即是空(しきそくぜくう)
- 6.8 空即是色(くうそくぜしき)
- 6.9 受想行識亦復如是(じゅそうぎょうしきやくぶにょぜ)
- 6.10 舎利子(しゃりし)
- 6.11 是諸法空相(ぜしょほうくうそう)
- 6.12 不生不滅(ふしょうふめつ)
- 6.13 不垢不浄(ふくふじょう)
- 6.14 不増不減(ふぞうふめつ)
- 6.15 是故空中(ぜこくうちゅう)
- 6.16 無色(むしき)
- 6.17 無受想行識(むじゅそうぎょうしき)
- 6.18 無眼耳鼻舌身意(むげんにびぜつしんい)
- 6.19 無色声香味触法(むしきしょうこうみしょくほう)
- 6.20 無眼界乃至無意識界(むげんないしむいしきかい)
- 6.21 無無明(むむみょう)
- 6.22 亦(やく)
- 6.23 無無明尽(むむみょうじん)
- 6.24 乃至(ないし)
- 6.25 無老死(むろうし)
- 6.26 亦(やく)
- 6.27 無老死尽(むろうしじん)
- 6.28 無苦集滅道(むくしゅうめつどう)
- 6.29 無智(むち)
- 6.30 亦(やく)
- 6.31 無得(むとく)
- 6.32 以無所得故(いむしょとくこ)
- 6.33 菩提薩埵依般若波羅蜜多故(ぼだいさったへはんにゃはらみたこ)
- 6.34 心無罣礙(しんむけげ)
- 6.35 無罣礙故(むけげこ)
- 6.36 無有恐怖(むうくふ)
- 6.37 遠離一切顛倒夢想(おんりいっさいてんどうむそう)
- 6.38 究竟涅槃(くきょうねはん)
- 6.39 三世諸仏(さんぜしょぶつ)
- 6.40 依般若波羅蜜多故(えはんにゃはらみたこ)
- 6.41 得阿耨多羅三藐三菩提(とくあのくたらさみゃくさんぼだい)
- 6.42 故知般若波羅蜜多(こちはんにゃはらみた)
- 6.43 是大神呪(ぜだじんじゅ)
- 6.44 是大明呪(ぜだいみょうしゅ)
- 6.45 是無上呪(ぜむじょうしゅ)
- 6.46 是無等等呪(ぜむとうどうしゅ)
- 6.47 能除一切苦(のうじょいっさいく)
- 6.48 真実不虚故(しんじつふここ)
- 6.49 説般若波羅蜜多呪(せつはんにゃはらみたじゅ)
- 6.50 即説呪日(そくせつしゅわつ)
- 6.51 羯諦 羯諦(ぎゃーていぎゃーてい)
- 6.52 波羅羯諦(はらぎゃーてい)
- 6.53 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶(はらそうぎゃーていぼじそわか)
- 6.54 般若心経(はんにゃしんぎょう)
- 7 仏教を詳しく知りたい方へ
- 8 メール講座のご案内
般若心経とは?
般若心経について辞書には以下のようにあります。
般若心経
はんにゃしんぎょう[s:Prajpramit-hdaya-stra]
玄奘(げんじょう)訳が最も広く流布するが、鳩摩羅什(くまらじゅう)訳を含んで合計7訳が現存し、小本と大本との2種のサンスクリット本とチベット訳本とがそなわる。玄奘訳は小本に相当し、詳しくは<般若波羅蜜多心経(はんにゃはらみたしんぎょう)>で、字数300字足らず。経名のなかの<心>(hdaya)は心臓をいい、核心・心髄の意。すなわち般若経典群に説かれる内容を空(くう)という核心に凝縮し(たとえば色即是空(しきそくぜくう)・空即是色(くうそくぜしき))、また末尾に真言(しんごん)(mantra)を置き、悟りの彼岸(ひがん)への到達をたたえる。なお興味深いことに、サンスクリット語の原本(貝葉(ばいよう))は、古く日本に伝わり、小本は法隆寺に、大本は奈良の長谷寺(はせでら)に保存されてきた。般若経。引用:岩波仏教辞典第二版
般若心経は、仏教の多くの宗派で拝読されているお経です。
般若心経の作者は不明ですが、日本では玄奘三蔵の訳されたものがよく読まれています。
文字数は276文字で、最も短いお経の1つですね。
そのため僧侶だけでなく、一般の家庭(在家)でもよく読まれており、覚えている方も多いのではないでしょうか。
般若心経が短い理由は、「般若波羅蜜」について書かれた般若諸経(大般若経など)と言われる長いお経の重要な部分を要約して内容だからですね。
※般若波羅蜜は下記で説明しています。
短くなった分、お経の一文字一文字に、深い意味がこもっています。
少し詳しく、わかりやすくみていきましょう。
般若心経の名称
般若心経はいろいろな名称で呼ばれており、下記が般若心経名の称例です
- 仏説摩訶般若波羅蜜多心経
- 摩訶般若波羅蜜多心経
- 心経
- 般若多心経
お経のタイトルにも意味があるので、簡単に説明しますね。
「仏説」・・・「仏が説かれた」「お釈迦様がおっしゃったこと」
「摩訶」・・・「大きい」「偉大な」
「般若」・・・仏の「智慧」
「波羅」・・・「彼岸」のことで、悟りを開いた涅槃の境地
「蜜多」・・・「到達」
「心」・・・重要な部分
「経」・・・お釈迦様が説かれた教え
上記意味をまとめると摩訶般若波羅蜜多心経の意味は、
「偉大な仏の智慧・悟りの境地について重要な内容をまとめたお経」
ということです。
般若心境のあらすじは?
般若心経のあらすじは、下記のとおりです。
『身体も心も、私達が考える真理すらも空であり、菩薩は智慧が完成することで、妄念がなくなり、仏の悟りを開くのである。私(観音菩薩)が勧めることはただ一つだけである。「彼岸へ往きなさい、そして本当の智慧の完成を求めなさい』」
空とは?
空は、一般的には「実体がない」「固定不変なものがない」と言われる事が多いでしょう。
それはなぜかというと「すべてのものは因と縁によって生じる」からです。
因縁の話は、仏教で因果の道理と教えられます。因果の道理はこちらの記事に書いていますので、ぜひご覧ください。
この記事では、「空」を「因縁によって生じる」と訳して説明していきたいと思います。
「因縁所生の法、我即ちこれ空なりと説く。」 龍樹菩薩
般若心経全文(漢訳)も紹介
よく知られている玄奘三蔵がサンスクリット語から訳している般若心経の内容を紹介します。
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄舎利子色不異空空不異色色即是空空即是色受想行識亦復如是舎利子是諸法空相不生不滅不垢不浄不増不減是故空中無色無受想行識無眼耳鼻舌心意無色声香味触法無眼界乃至無意識界無無明亦無無明尽乃至無老死亦無老死尽無苦集滅道無智亦無得以無所得故菩提薩埵以般若波羅蜜多故心無罣礙無罣礙故無有恐怖遠離一切顚倒夢想究竟涅槃三世諸仏依般若波羅蜜多故得阿耨多羅三藐三菩提故知般若波羅蜜多是大神呪是大明呪是無上呪是無等等呪能除一切苦真実不虚故説般若波羅蜜多呪即説呪曰羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶般若心経
般若心経の書き下し文も紹介
般若心経の読み下し文を載せておきます。
上記の漢字だけとは違って、般若心経を読み下すと少しわかりやすくなりますね。
とはいえここを読むだけでは難しいので下記で訳していますのでぜひご覧ください!
五蘊は皆空なりと照見し、一切の苦厄を度したもう。
舎利子
色は空に異ならず、空は色に異ならず。色は即ちこれ空なり、空は即ちこれ色なり。
受想行識もまたかくの如し。
舎利子
この諸法は空相にして、生じず滅せず、垢つかず浄からず、増えず減らず。
この故に空中には、色なく、受想行識なく、
眼耳鼻舌身意なく、色声香味触法なく、
眼界なく、ないし意識界もなく、無明なく、また無明が尽きることもなく、
ないし老死もなく、また老死が尽きることもなく、苦集滅道もなし。
智なく、また得もない。得るところなきを以ての故に
菩提薩埵は、般若波羅蜜多によるが故に
心に圭礙なく、圭礙なきが故に、恐怖の有ることもなし。
一切の顛倒夢想を遠離して、涅槃を究竟す。
三世諸仏は、般若波羅蜜多に依るが故に、
阿耨多羅三藐三菩提を得たもう。
故に知るべし。般若波羅蜜多は、
これ大神呪なり。これ大明呪なり。これ無上呪なり。これ無等等呪なり。
一切の苦を能く除き、真実にして虚ならず。
故に般若波羅蜜多の呪を説かん。即ち呪を説きて曰く、
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦
菩提薩婆訶 般若心経
サンスクリット語はある?
参考までにサンスクリット語も紹介しておきますね。
≪サンスクリット原典≫
Namas Sarvajñāya.
āryāvalokiteśvaro bodhisattvo gaṃbhīrāyāṃ prajñāpāramitāyāṃ caryāṃ caramāṇo vyavalokayati sma:pañca skandhās, tāṃś ca svabhāvaśūnyān paśyati sma.
iha Śāriputra rūpaṃ śūnyatā, śūnyataiva rūpam. rūpān na pṛthak śūnyatā, śūnyatāyā na pṛthak rūpaṃ. yad rūpaṃ sā śūnyatā,yā śūnyatā tad rūpam. evam eva vedanāsaṃjñāsaṃskāravijñānāni.
iha Śāriputra sarvadharmāḥ śūnyatālakṣaṇā anutpannā aniruddhā amalāvimalā nonā na paripūrṇāḥ. tasmāc chāriputra śūnyatāyāṃ na rūpaṃ na vedanā na saṃjñā na saṃskārā na vijñānaṃ. na cakṣuḥśrotraghrāṇajihvākāyamanāṃsi,na rūpaśabdagandharasaspraṣṭavyadharmāḥ,na cakṣurdhātur yāvan na manovijñānadhātuḥ.
na vidyā nāvidyā na vidyākṣayo nāvidyākṣayo yāvan na jarāmaraṇaṃ na jarāmaraṇakṣayo na duḥkhasamudayanirodha-mārgā,na jñānaṃ na prāptiḥ.
tasmād aprāptitvād bodhisattvānāṃ prajñāpāramitāṃ āśritya viharaty acittā varaṇaḥ. cittāvaraṇanāstitvād atrasto viparyāsātikrānto niṣṭhanirvāṇaḥ. tryadhvavyavasthitāḥ sarvabuddhāḥ prajñāpāramitām āśrityānuttarāṃ saṃyaksambodhiṃ abhisambuddhāḥ.
tasmāj jñātavyaṃ prajñāpāramitāmahāmantro mahāvidyāmantro ‘nuttaramantro ‘samasamamantraḥ, sarvaduḥkhapraśamanaḥ. satyam amithyatvāt prajñāpāramitāyām ukto mantraḥ,tad yathā:gate gate pāragate pārasaṃgate bodhi svāhā.
iti Prajñāpāramitāhṛdayaṃ samāptam.
参考文献:般若心経・金剛般若経 (岩波文庫)
般若心経と宗派の関わりについて
仏教の各宗派では、根本聖典というものがありますが、般若心経は根本聖典はなくてもひろく読まれています。
ここでは般若心経と各宗派の関わりについて説明しますね。
天台宗
天台宗は比叡山延暦寺を本山にする宗派で、法華経を根本聖典としています。
般若心経はよく唱えられています。
天台宗は他の宗派よりもすべての経典を重要だとしていること、般若心経が短い文章の中で真理がつまっており功徳が大きいとしていることから、葬式、法事、朝夕の勤行など様々な場面で拝読されていますね。
真言宗
真言宗は高野山金剛峰寺を総本山にする宗派で、主に「大日経」と「金剛頂経」を根本聖典としてます。
真言宗のお寺でも般若心経はよく唱えられます。
真言宗は「密教」と呼ばれる教えを重視し、般若心経の最後の文言が密教に通じるものがあるため、般若心経も重要なお経として様々な修行の中で唱えられているのです。
曹洞宗
曹洞宗は吉祥山永平寺と諸嶽山總持寺の2つの本山があり、根本聖典はありません。
それは曹洞宗は「悟りの道は文字では表せない」という「不立文字」の立場をとり、経典の文言を修行の中で取り入れないからです。
修行の中で重要にしているご著書は、開祖道元が書き残した正法眼蔵を一部編集した「修証義」があります。
もちろん曹洞宗でも根本聖典としていないだけで経典を読誦することは多く、般若心経も大切なお経として読経や写経を行っています。
浄土宗
浄土宗の 総本山は知恩院であり、根本聖典は経典ではなく『選択本願念仏集』とされています。これは法然上人が浄土仏教の真髄を書き残されたご著書です。
お釈迦様のお経と同じものとして扱われています。
浄土宗は般若心経を読誦することがあり、以下で説明する浄土真宗とは教えの中身が大きく異なります。
浄土真宗では唱えてはいけない?
浄土真宗は本願寺を本山とし、根本聖典は浄土三部経(阿弥陀経・観無量寿経・大無量寿経)です。
各宗派でよく読まれている般若心経ですが、浄土真宗では全く拝読されません。
その理由は浄土真宗の教えが「他力の仏教」だからです。
仏教には大きく「他力の仏教(阿弥陀仏の本願で救われる教え)」と「自力仏教(自らの修行で悟りをひらく教え)」があります。
2つの打ち浄土真宗は「他力の仏教」にあたります。
浄土三部経は他力の仏教に属する経典ですが、般若心経は自力の仏教に関する経典ですので、他力仏教を徹底する浄土真宗では拝読されないのです。
詳しくは下記をご覧ください。
➾般若心経はやばい?唱えてはいけない理由2つ!浄土真宗で唱えないのはなぜ?
般若心経の功徳・効果とは?
般若心経を拝読すると様々な功徳があると言われますが、「奇跡的なことが起こる」と誤解されることが多いです。
そもそも仏教は奇跡は起こす教えはありません。
私のメルマガなどでも詳しくお伝えしていますが、お釈迦様はそういうまやかしを教えているのではなく、苦しい人生を幸福になるために何をすべきなのかという「幸福になるための真理」を教えられたのです。
般若心経を唱えて奇跡を起こすのではなく、内容を知って、「幸福になるための仏の智慧」を学ぶことが重要です。
般若心経の効果はこちらをご覧ください。
「お経に何が書かれているのか」について下記で書いていますのでひご覧になってくださいね。
⇒「お経とは一体何が書かれているのでしょうか」の記事はこちらから
般若心経の意味(現代語訳)
ここからは般若心経の意味を一言一言わかりやすく解説します。
一緒に読み方も記載しておきますね。
それぞれの言葉の詳しい説明はまた別の記事で書きますが、内容を知っていただきたいと思います。
現代語訳のみを確認したい方は、下記をご覧ください。
観自在菩薩(かんじざいぼさつ)
「観自在菩薩は、」という意味です。
観自在菩薩は観世音菩薩や 救世菩薩とも呼ばれ、様々な名称を持っておられます。一般的には観音様と言われることが多いですね。
仏になるための修行をしながら、すべての人の苦しみの声を聞き(観音)仏の教えを伝える活動をされる菩薩です。
観自在菩薩にいてはこちらの記事で詳しく書いています。
⇒観音様(菩薩)とは?簡単に意味やご利益(教え・救い)仏様との違いを解説!
行深般若波羅蜜多時(ぎょうじんはんにゃはらみたじ)
「仏の智慧を完成される修行を真剣に行われていたときに、」という意味です。
照見五蘊皆空(しょうけんごうんかいくう)
「人間の存在はすべて「因縁によって生じている」と明らかに真理をしらされて」という意味です。
空の意味は、すべてのものは「因縁果の道理」にしたがって存在している、ということなのです。
人間は五蘊という5つの構成要素でできており、五蘊は色蘊・受蘊・想蘊・行蘊・識蘊のことです。
五蘊の意味は下記で説明しています。
そして「照見」は「真理を明らかに見ること」「実相をみること」の意味です。
度一切苦厄(どいっさいくやく)
「すべての苦しみから救ってくださいます」という意味です。
「苦厄」は苦難と災厄の意味で、すべての苦しみのことです。
「度す」は済度するという意味で、迷いの世界から救うことを意味します。
舎利子(しゃりし)
「舎利子よ」とお弟子に呼びかけられています。
釈迦の10弟子の一人で、舎利弗のことです。
舎利弗は、智慧第一と言われ、お釈迦様のお弟子の中でも非常に賢く、お釈迦様の息子ラーゴーラの師僧をされるほどお釈迦様から厚い信頼を受けた方でした。
色不異空空不異色(しきふいくうくうふいしき)
「色は空に異ならず、空は色と異なりません。」という意味です。
色即是空空即是色とほぼ同じ意味ですので、下記で説明します。
色即是空(しきそくぜくう)
「この世界の形あるものはすべて因縁によって生み出されたものであり」という意味です。
色は、ここでは物質的な存在を意味します。
空は、一切が因縁にもとずいていることを空といい、それを「実体と呼ばれるものがないこと」と言われることが多いです。
色即是空についてはこちらの記事もご覧ください。
空即是色(くうそくぜしき)
「全てが因縁で生じているから、すべてのものは存在するのである。」という意味です。
「空であるのに存在する」という意味は、私たちの知恵で理解するのは難しいですが、これが空の真理性を表す表現なのです。
受想行識亦復如是(じゅそうぎょうしきやくぶにょぜ)
「受蘊・想蘊・行蘊・識蘊も同じように因縁によって生まれるのです」という意味です。
色蘊・受蘊・想蘊・行蘊・識蘊は五蘊と言われ、人間の構成要素を5つにわけたものです。
人間はこの五蘊によって存在しています。
「色蘊」とは肉体などの物質・物体を意味します。
「受蘊」は、色蘊によって感受したことです。痛い、寒いなどです。
「想蘊」は、感受したことから想像することです。「熱い」と感じた時、「火かな?」などとイメージする作用です。
「行蘊」は、心のなかで想像したことに対して、なにか行いをする意思です。火をイメージしたら「消したい!」と思うったり「逃げよう」という心です。
「識蘊」は、これまで体験したことや実験したことを認識し、記憶したり知識として蓄えるような作用です。火事の原因を覚えておくことなどです。
舎利子(しゃりし)
「舎利子よ」という呼び掛けです。
是諸法空相(ぜしょほうくうそう)
「このようにすべの物事は因縁によって生じるのが真実であり、」
「諸法」は諸々の法ということで、すべての物事です。
「空相」は、空の実相である、ということなので、因縁によって生じている真実の相(すがた)という意味になります。
次のお言葉からは、空がどういうものなのかを否定語を並べることで説明します。
似たような説明をされている高層に、八宗の祖師といわれる龍樹菩薩という僧侶がいます。
龍樹菩薩は、「中論」というご著書の中で「八不」を書かれ、空を説明しています。
「八不」とは、「不生不滅(ふしょうふめつ)、不常不断(ふじょうふだん)、不一不異(ふいつふい)不来不出(ふらいふしゅつ)」のこ。
迷った人間の考えを否定しながら、言葉で表せない真実を表そうと試みる論法です。
不生不滅(ふしょうふめつ)
「生まれもしなければ減りもしない」という意味です。
不垢不浄(ふくふじょう)
「汚いということでもきれいということでもない」という意味です。
不増不減(ふぞうふめつ)
「増えるということもなく、減るということもありません」という意味です。
是故空中(ぜこくうちゅう)
「このような理由で、因縁で生じる世界には、」という意味です。
無色(むしき)
「物事の実体(色蘊)というものはなく、」という意味です。
無受想行識(むじゅそうぎょうしき)
「感じたり、想像したり、行事たり、認識するということは無いのです」という意味です。
無眼耳鼻舌身意(むげんにびぜつしんい)
「『目で世界をみたり、音が聞こえたり、香りを楽しんだり、食べ物を味わったり、身体で動いたり、認識や意識を働かせる』といったことも無いのです。」・という意味です。
「眼耳鼻舌身意」は六識のことで、眼識,耳識,鼻識,舌識,身識,意識です。
ちょうどそれぞれ目、耳、鼻、舌、身体、脳といった感覚器官にあたります。
無色声香味触法(むしきしょうこうみしょくほう)
「『形あるもの、声や音、匂いや香り、美味しいまずいなどの味、冷たいざらざらするなどの触感、心の動きといったものも無いのです。』」
「色声香味触法」は六境と言われ、それぞれ「色境」「声境」「香境」「味境」「触境」「法境」のことです。
六識で認識する対象のことですね。
無眼界乃至無意識界(むげんないしむいしきかい)
「眼で見て楽しんだり悲しんだりする世界から心で思い浮かべたり知覚する世界まで全て無いのです」という意味です。
乃至の意味は「〇〇〜〇〇まで」ということで、間が省略されています。
ここでは六識のうち、耳、鼻、舌、身が省略されていますが、これらもすべて無いという意味です。
無無明(むむみょう)
「迷いというものは無く、」という意味です。
無明は深い意味がありますが、ここでは「人間を苦しめる迷い」をさします。
亦(やく)
「同様に」という意味です。
並列の接続詞で「また」「同様に」という意味になります。
無無明尽(むむみょうじん)
「苦しみ迷いが尽きるということもない」という意味です。
乃至(ないし)
〇〇から〇〇までの意味です。
無老死(むろうし)
「老いや死もありません。」という意味です。
仏教では四苦八苦を教え、生老病死という4つ苦しみを教えます。
しかし真理を悟るとこれらの苦しみの因縁によって生まれている(空)であることが知らされるのです。
亦(やく)
「同様に」という意味です。
無老死尽(むろうしじん)
「老いなくなったり死ななくなったりすることもない」という意味です。
無苦集滅道(むくしゅうめつどう)
「苦しみや、苦しみの原因、悟りの世界や悟りをひらくまでの道程という真理もない」という意味です。
これは苦集滅道は「四聖諦」という教えです。
「四聖諦」は、苦諦、集諦、滅諦、道諦で、4つの真理について伝えています。
四聖諦について詳しくは別の記事で説明しますね。
「四聖諦はお釈迦様の教えなのに、無いとはどういうこと?」と思われるかもしれませんが、これは「四聖諦も実体はない」と教えられているのです。
真理は、私達が考えているようなものではないということで、悟りを開かないとわからないものなんですね。
無智(むち)
「智慧もなく」という意味です。
智慧も私たちが考えているようなものではないということです。
亦(やく)
「同様に」という意味です。
無得(むとく)
「何かを得るということもない」という意味です。
私達には実体がないのですが、これは「私のものだ」と何かを得た状態はありえないのです。
以無所得故(いむしょとくこ)
「何かを得たということがないのだから」という意味です。
菩提薩埵依般若波羅蜜多故(ぼだいさったへはんにゃはらみたこ)
「菩薩は仏の悟りを目指すことによって」という意味です。
菩薩は菩提薩埵を短くした言い方で、仏の悟りを求める人・真実の幸福を求める人をいいます。
「仏教を聞いて幸せになりたい」と思う人はすべて菩薩なのです。
菩薩については下記で書いていますのでぜひご覧ください。
心無罣礙(しんむけげ)
「心をおおうものはなく」という意味です。
「罣礙」は「覆うもの」と言う意味で、覆うものが無いのです。
無罣礙故(むけげこ)
「心が何にもおおわれていないのだから」という意味です。
無有恐怖(むうくふ)
「恐怖は一切無く」という意味です。
遠離一切顛倒夢想(おんりいっさいてんどうむそう)
「すべての逆立ちした迷妄を捨て去って」と言う意味です。
「遠離」は執着などの妄念を捨て悟りの世界にはいることです。
「一切」はすべてです。
「顛倒」は、真理とは真逆の逆立ちした考えをいいます。
有名なお言葉に「四顛倒の妄念」があります。
4つの逆立ちした考えのことで、私たちはこの世界を「常に変わらず、楽しくて、私という実体があり、きれいだ(常楽我浄)」と考えていますが、すべて迷った考えだと教えられています。
真理はその逆(無常、苦、無我、不浄)だと知っておきましょう。
「夢想」は「とりとめのない夢をみているような心」です。仏教では、私たちはちょうど夢をみているような世界に生きていると言われます。
究竟涅槃(くきょうねはん)
「最高無常の仏の悟りの世界へ入る」という意味です。
「究竟」は「行き着くところ」「究極の」という意味です。
「涅槃」は仏の悟りの世界のことを言います。
三世諸仏(さんぜしょぶつ)
「過去・現在・未来のすべての仏様は」という意味です。
三世は、過去未来現在を意味し、たくさんの仏様がましますので、諸々の仏(諸仏)と言われるのです。
仏についてはこちらの記事を参考にしてくださいね。
⇒「仏やブッダとはどんな人を言うのでしょうか」の記事はこちら
依般若波羅蜜多故(えはんにゃはらみたこ)
「仏の智慧を完成される修行をされたことで」という意味です。
菩薩はまだ仏の悟りをひらいていませんが、仏様はすでに「仏覚」という悟りを開いています。
得阿耨多羅三藐三菩提(とくあのくたらさみゃくさんぼだい)
「仏覚という最高無上の悟りをひらいたのである」という意味です。
仏覚は、様々な名称があり、その一つが阿耨多羅三藐三菩提です。
故知般若波羅蜜多(こちはんにゃはらみた)
「だから知らなければなりません。「般若波羅蜜多」は」という意味です。
是大神呪(ぜだじんじゅ)
「これは大いなる想像もできない真言である」という意味です。
神は、神通力と同じ意味で、不思議な働きを意味します。
呪は、まじないではなく、真言という意味です。
是大明呪(ぜだいみょうしゅ)
「これは無明煩悩を晴らす真言である」という意味です。
明るくするのは、私達の心なのです。煩悩は無明とも言い、明かりのない心です。
その暗い心を明るくする言葉なのです。
是無上呪(ぜむじょうしゅ)
「これはもう最高無上の真言である」という意味です。
是無等等呪(ぜむとうどうしゅ)
「これは大宇宙に全く比較するものがない真言である」という意味です。
能除一切苦(のうじょいっさいく)
「一切の苦しみが無くなり」という意味です。
真実不虚故(しんじつふここ)
「偽りなく真実なのだから」という意味です。
説般若波羅蜜多呪(せつはんにゃはらみたじゅ)
「智慧の完成」について説法するのです。
即説呪日(そくせつしゅわつ)
「ここで仏の真の言葉を説いておこう。」という意味です。
羯諦 羯諦(ぎゃーていぎゃーてい)
「往け、往け」
・羯諦は彼岸へという意味です。
波羅羯諦(はらぎゃーてい)
「彼岸へ到達しよう」という意味です。
波羅が到達するという意味です。
波羅僧羯諦 菩提薩婆訶(はらそうぎゃーていぼじそわか)
「僧侶たちも、彼岸に到達して、仏の悟りをひらこう」という意味です。
「波羅」は到達するという意味です。
「僧」は僧侶です。
「菩提」は仏の悟り・真実の幸福という意味です。
「薩婆訶」は、成就するという意味です。
般若心経(はんにゃしんぎょう)
「これが般若心経である。」という意味です。
仏教を詳しく知りたい方へ
今回の記事は、般若心経のお言葉をわかりやすく解説しました。
ただ1つ1つのお言葉の意味は深く、まだまだ話足りません。
またお釈迦様の教えを「どうしたら生活の上で実践できるか」また教えを聞いて「人生を幸せにすることができるのか」を。これからもっとお話していきますね。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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