「業を背負う」という言葉を、みなさんはどんなときに使いますか?
「何か覚悟を決めたとき」「背徳感があるがやらねばならないとき」などに使われています。
ここで「業を背負う」の意味について、わかりやすく解説します。
- 業を背負うの意味を知りたい
- 業を背負った人
このようなことにお答えします。
業を背負うの意味
業を背負うは、一般的に
『過去の悪い行為の結果を一身に受ける』
という意味で使われます。
なぜこのように使われるのでしょうか。
一つ一つ言葉の意味を見ていきましょう。
業とは
業は、インドの昔の言葉では「カルマ」(karma)と言って、現在の言葉では「行為」を意味します。
行為と言っても、3つの方向から教えられます。
それが身口意の三業です。
身業:身体の行い。殴ったり蹴ったり、物を運んだり、身体を使った行いです。
口業:口の行いは、話すこと。人を褒めたり貶したり、おべっかを言うことです。
意業:心の種まきです。あの人のおかげ様で、あいつのせいだ、など心でいろいろ思うことです。
お釈迦様は、業には力があると教えられており、それを業力といいます。
この業力によって、私たちの運命は決まるのです。
業と運命の関係
私たちが過去にやった業によって、これからの運命が決まります。
運命を生み出す力が、業にあるからです。
だから良い行いをすれば、良い運命が訪れ、
悪い行いをすれば、悪い運命が引き起こります。
これを因果の道理とか、因果応報と言います。
因果応報についてはこちらの記事もお読みください。
背負うの意味
業は目に見えないものですから、背中に背負うのではなく、「引き受ける」「身に受ける」という意味です。
業はとくに、悪業という意味で使われるので、業を背負うというと、「悪い運命を一身に引き受ける」という意味で使われます。
業と宿命
宿命というのは、前世から定まっている運命という意味です。
ブッダの教えは宿命論ではありませんので、業には「未来に定まった宿命がある」という意味はありません。
しかし「自分には決まった宿命がある」という意味で「業を背負う」と使う人もあります。
「先祖代々の業を背負う」というように使われますが、ブッダの教えは自業自得の教えですから、そういったことは実際にはありません。
自分の撒いた種の結果を受けているのです。
では、「業を背負った」人の生き方をみていきましょう。
『業を背負った」と自覚した人の生き方
自分は「業を背負っている」と自覚した人の生き方は、力強いものがあります。
苦しい運命から逃げ出さず、運命をしっかりと受け入れて生きているからです。
嫌なことや辛いことが起きた時、目を背けたくなりますが、結果を受け入れないと何の解決もできません。
結果を受け入れたあと、悪い結果の原因を見つめ、解決に向かうチャンスになるのです。
たとえば、ある会社で部下の失敗の責任を、上司の自分が負わなければならない人がいました。
彼は自分が部下を管理できなかったことに原因があり、部下の業を自分の業として受け入れる覚悟をして、反省し改善に取り組みました。
その人は「あのときは責任に対して厳しい処罰を受けたけれど、あの経験が自分を向上させた」と部下のミス(業)を自分の糧にした人もいるのです。
業を背負ったからといって、諦めてしまう人がいるかもしれませんが、決して運命を諦める必要はありません。
これから幸せのタネを撒けば、幸せの花が咲きます。
上手くいかないとき、苦しいときの心がけについては、下記をご覧ください。
⇒因果の道理とはまとめるとどういうことですか?
業を背負っても幸福になれる
今回の記事では、「業を背負う」の意味と、業を背負った人の生き方について解説しました。
業を背負うとは、「悪い運命を一身に受ける」という意味があります。
また「自分に決まった宿命がある」という意味で使われることもあります。
そして「業を背負った」と自覚のある人の生き方は、力強いものがあり、運命を切り開くチャンスがあります。
悪い結果となった原因に目を向けられるからです。
引き続きブッダの教えを学び、幸福のタネを撒いていきましょう。
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