我愛(仏教)の意味から考える「幸せになる方法」

この記事はこんな人にオススメ
  • つい「自分が!自分が!」と自己中心的な態度をとってしまうという方
  • 自分のことが嫌いという方
  • 孤独を感じているという方

今回の記事を読めば、幸せになる方法ついて知ることができます。

YouTubeではもっと詳しく話していますので、ご覧ください。

自分を愛する我愛

仏教の言葉で、我愛(があい)という言葉があります。

我愛はその名の通り、自分を愛するという意味です。

どんな人であっても、我愛の心は持っています。

ただその気持ちが強すぎると、

「自分大好き」「自分が自分が・・」「私が私が・・・」というように、我愛が外に漏れ出てしまいます。

唯識仏教では、こういった愛情の裏側には、自分の振る舞いこそ最高のものとする心がはたらいている、しかも自分でも気がつかないほど深い意識の底に潜んでいて、「われを愛する心=我愛があい」といわれるこの心は大変根深く、拭いがたい煩悩である、と厳しく指摘しています。

参考 ネット法話「我愛 ~自分に向けられた愛情~」 萩市仏教会 (hagishibukkyo.com)

今回お話する我愛を、「自分病」とも私は読んでいます。

この記事を読んでくださっている方も、少なからず自分病にかかっていることでしょう。

人間はみんな、自分が大好きなのです。

自分のことが嫌い=自分が好き?

「自分のことが嫌いだ」という人も中にはいらっしゃるでしょう。

しかし、少し考え方を変えてみると、

「自分のことが嫌い」という人は、実はそれだけ御自身のことを意識して好き嫌いを判断しているということです。

自分を意識しているからこそ、「好き」や「嫌い」という感情が出てくるのですね。

そこに対して強い執着を持っていなければ、「好き」でも「嫌い」でもなくありのままを受け入れることができるはずです。

なので、「自分が大好き」「自分が大嫌い」という気持ちに囚われることも、自分を意識している点においては、同じなのです。

また、自己肯定というのは、好きでも嫌いでもなく、そのままの自分を受け入れることです。

そのときこそ、好きや嫌いという感情から離れることができるのです。

そうはいっても、なかなかそうもいきません。

我々は、自分が好き、自分が嫌いといった自分を意識し続ける心に囚われているのです。

みんな少なからず自分病にかかっているのですね。

我愛が強いことで起こる問題

この我愛は、我執(がしゅう)とも言われます。

我愛、我執が強すぎると、コミュニケーションをとっていく上で、様々な支障が出てきます。

例えば・・・

・自分のことで一生懸命

・自分の都合ばかりを気にしてしまって、他人のことには関心がない

・自分がどうみられているかに過度に反応

など、周囲を軽んじて、自分のことばかり。

我愛・我執の心は誰にでもあるのですが、その心に支配されないことが大切なのです。

この我愛・我執の心が強すぎると、様々な大切なことが見えなくなってしまいます。

大切なこととは、我々はたくさんの支えや繋がりに生かされているということです。

我利我利亡者になっていませんか?

自分の利益や自分の都合ばかりに取り憑かれている人を、我利我利亡者と呼びます。

この我利我利亡者になってしまうと、いろんな人に支えてもらっていることや、恵まれた環境の中で頑張れていたことに気付かなくなり、全て自分の力だけで成し遂げたのだと勘違いしてしまいます。

そして、「これだけ頑張っているのに、みんな感謝してくれない」「わかってくれない」と不平不満が先立ってしまいます。

我愛が強すぎると、自分にスポットライトが当たってしまい、周りが見えなくなってしまうのですね。

よくある例で、社会的に成功された経営者の方で

・俺が雇ってやっているんだ!

・俺が苦労して作った会社なんだ!

・俺の言うこと聞けばいいんだ!

という風に我利我利亡者に取り憑かれてしまった人がいます。そういう人は、哀しいことに孤独になっていきます。

これは決して幸せな状態とは言えません。

幸せって何?

我々の幸せというのは、我愛の心に支配されずに、そのような心と程よい距離感を保つことです。

「自分のことが大嫌い」という人は、自分を意識している点においては「自分が好き」と同じです。

我愛は自分への愛着心です。 

「自分が好きだ」というのも愛着心。そして「自分が嫌いだ」というのもまた愛着心(執着)なのです。

そういった愛着の心から離れると、次第に距離感を掴めてくることでしょう。

自己肯定という言葉があります。

自己肯定とは、自分の良い部分も悪い部分も全て合わせて自分なのだと受け入れることです。

決して「自分が大好き」というのが、自己肯定ではないのです。

仏教で説かれる「幸せになる方法」

ここで、あるお話を御紹介します。

ある青年が僧侶に相談しました。

青年「私は幸せになりたいです。どうしたら幸せになれるのでしょうか?」

僧侶は答えます。

僧侶「「私は」を取りなさい。その次に「なりたい」を取りなさい。そうしたら、そこに幸せがあるだろう」

と語りました。

つまり

「私は幸せになりたい」のだと「私は」に囚われている間は、本当の幸せは見つからないということです。

「我」から離れて広い視点から見た時に、様々な繋がりの中に「自分」があるということに気付き、そこに感謝や思いやりの心が生まれるのです。

つまり、「私が」から上手に離れることを意識することが、我々が幸せに気付ける大切な心がけです。

まとめ

いかがでしたでしょうか?

どんな人であっても、人間である限りは自分病(我愛)にかかっています。

それに、我愛の心がないと生きていけません。

ただ、この我愛が強くなり過ぎると、様々な苦しみが深まってしまいます。

この記事を読んでくださっている皆さまは、日々の生活に幸せを感じるときはありますか?

もしそうでないのなら、御自身の我愛が強くなりすぎていないだろうか?と、

一度御自身を見つめ直してみてはいかがでしょうか?

 

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執筆者:岡本一志
一般社団法人全国仏教カウンセリング協会代表 仏教の教えにもとづいたアドバイスをしている 著作に「心がほっとする仏さまの50の話」三笠書房 「心がすっと晴れる仏さまの伝えたかったこと」 など計5冊、累計35万部突破のベストセラー
 

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