ブッダの説かれた命のはかなさ
四十二章経に、次のようなブッダのやり取りが説かれています。
ブッダが、修行者たちに命の長さについてどのように思うかを尋ねられました。
一人が「私も大分、命の短さが知らされてきました。一生といっても、一週間ほどの長さに思います。」といいました。
次の一人は、
「命の長さは五、六日なんてありません。 まあ、食事をいたす間ぐらいでございます。」と答えた。
最後の一人は、
「いやいや、命の長さは一息つく間もありません。吸うた息が出なかったら、それでおしまいです」と答えたところ、釈尊は最後の答えを大いに称賛され、
「そうだ。そなたの言う通り、命の長さは吸うた息が出るのを待たぬほどの長さしかないのだ。命の短さが身に染みて感じられるようになるほど、人間は人間らしい生活を営むようになるのだ」と仰いました。
出息は入息を待たず、命終わる
経の中に、釈尊は、
出息入息不待命終と説かれました。
出息とは、吐く息のことです。入息とは、吸う息のことです。
吐いた息が吸えなければ、吸った息が吐きだせなけれな、その時をもって命は終わります。
最初の男は、一生の短さを、一週間ほどだと答えましたが、一週間、生きておれると誰が保証できるでしょうか。2番目の男は、食事をする間ほどだといいましたが、その間、命があると言い切れるでしょうか。
真実は、吸う息、吐く息の今しかなく、吐いた息が吸えなければ、命は終わるのです。
このことが深くわかれば、無常を観ずるは菩提心の一なりと言われるように、今の一瞬、一瞬はかけがえのないものだということが知らされるでしょう。
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