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自分にしかない原因(業)を見つめよう

なぜ自分に起きたのか、それは自分にしかない原因があったから

あるところに真面目で、とても親切で、近所でも評判の奥さんがいました。ところがその奥さんはいつも一人になるとしくしく泣いていました。なぜかというと、その夫が、ろくに働きもせず、酒を飲んで、ギャンブルに明け暮れ、文句を言うとすぐに手をだしてしまうとんでもない夫だったからです。こんな場合は、夫のせいで、奥さんが苦しんでいるのですから自因自果とは言えないのではないでしょうか。

ところが、お釈迦様は、間違いなく、自因自果なのだよとお釈迦様は説かれます。どういうことなのでしょうか。

なぜ結婚したのか、それは好きになる業があったから

この奥さんはどうして、こんな男性に苦しめられねばならなかったのでしょうか?
それは、そんな男性と結婚してしまったからです。
どうしてよりによって、そんな男性と結婚してしまったのでしょう。
それは、明確な理由があるわけではなくて、何かぐっと魅かれるものがあったのでしょう。
周りの人は、「あんな男は絶対にやめときなさい」と反対したのですが、その奥さんは、そんな男性を好きなってしまう業(因)が奥さん自身にあったのです。


他の女性は、そんな男性がそばにいても、好きになってしまうとう業がありませんでしたから、結婚して苦しむという結果にはなりませんでした。

他の人にはなく、奥さん自身にしかない、こんな男性を好きになってしまうという深い業があったから、この奥さんがこんな男性と結婚して苦しむという結果が起きたのです。

なぜ自分に現われたのか、他の人にない原因が自分にあったから
そういう意味で、自因自果と言われます。

もちろん悪いのは夫ですが、それは因ではなく縁となったのです

では、「夫は悪くないのか?悪いのは、そんな男を好きになった奥さんというのか?」と思われる方もあるでしょう。

ここで、誤解されないようにしてほしいのですが、どちらが、良いのか悪いのかということを言われているのではないのです。

真面目に働かない夫はもちろん、倫理道徳的に見ても、善いとはいえません。ですが、そんな男性は、世の中、必ず、いるものです。
しかし、どうして、私がそんな男と結婚して、苦しまねばならなかったのかということは「夫が原因」では、説明が付きません。

なぜ私だったのか、それは私にしかない原因があったからということなのです。
奥さんと夫、どちらが悪いかといえば、当然、夫が悪いに間違いありません。しかし、それは原因ではなく悪い縁となったと説かれるのです。

因はあっても縁がなければ結果は生じない

どんな結果にも必ず原因がありますが、原因だけでは結果となりません。因に縁が合わさって初めて結果になるのです。
奥さんが、こんな男性を好きになってしまうという業を持っていてもそんな男性が周りにいなければ、一緒になって苦しむという結果は起きませんでした。
ところが、因と縁がそろってしまったのです。
奥さんのまわりの女友だちは、こんな男との縁はありましたが、そんな男性を好きになるという業(因)はありませんでしたので、結婚して苦しむという結果は起きなかったのです。

縁を恨んでも、苦しみの縄から抜け出すことはできない

苦しいことやうまくいかないことが起きますと自分自身に目を向けず、環境や条件、関わっている他の人に、その原因を求めます。
この奥さんの場合だと、夫をウラミ、自分が苦しむのはこの夫のせいだと思うでしょう。
しかし、相手を恨んでも、今の苦しみから抜け出すことはできません。
仮に、別れても、自分の内面に目を向けることができなければ、同じような人と出会って同じような苦しみが続くかもしれません。
縁を切ってしまうことも一つの方法でありますが、大事なことは、どうして、そういう人を選んでしまったのかという自分の内面に目を向けていくことが大事です。

自分にしかない原因(業)を見つめよう

なぜ自分に起きたのか、それは自分にしかない原因があったから

あるところに真面目で、とても親切で、近所でも評判の奥さんがいました。ところがその奥さんはいつも一人になるとしくしく泣いていました。なぜかというと、その夫が、ろくに働きもせず、酒を飲んで、ギャンブルに明け暮れ、文句を言うとすぐに手をだしてしまうとんでもない夫だったからです。こんな場合は、夫のせいで、奥さんが苦しんでいるのですから自因自果とは言えないのではないでしょうか。

ところが、お釈迦様は、間違いなく、自因自果なのだよとお釈迦様は説かれます。どういうことなのでしょうか。

なぜ結婚したのか、それは好きになる業があったから

この奥さんはどうして、こんな男性に苦しめられねばならなかったのでしょうか?
それは、そんな男性と結婚してしまったからです。
どうしてよりによって、そんな男性と結婚してしまったのでしょう。
それは、明確な理由があるわけではなくて、何かぐっと魅かれるものがあったのでしょう。
周りの人は、「あんな男は絶対にやめときなさい」と反対したのですが、その奥さんは、そんな男性を好きなってしまう業(因)が奥さん自身にあったのです。


他の女性は、そんな男性がそばにいても、好きになってしまうとう業がありませんでしたから、結婚して苦しむという結果にはなりませんでした。

他の人にはなく、奥さん自身にしかない、こんな男性を好きになってしまうという深い業があったから、この奥さんがこんな男性と結婚して苦しむという結果が起きたのです。

なぜ自分に現われたのか、他の人にない原因が自分にあったから
そういう意味で、自因自果と言われます。

もちろん悪いのは夫ですが、それは因ではなく縁となったのです

では、「夫は悪くないのか?悪いのは、そんな男を好きになった奥さんというのか?」と思われる方もあるでしょう。

ここで、誤解されないようにしてほしいのですが、どちらが、良いのか悪いのかということを言われているのではないのです。

真面目に働かない夫はもちろん、倫理道徳的に見ても、善いとはいえません。ですが、そんな男性は、世の中、必ず、いるものです。
しかし、どうして、私がそんな男と結婚して、苦しまねばならなかったのかということは「夫が原因」では、説明が付きません。

なぜ私だったのか、それは私にしかない原因があったからということなのです。
奥さんと夫、どちらが悪いかといえば、当然、夫が悪いに間違いありません。しかし、それは原因ではなく悪い縁となったと説かれるのです。

因はあっても縁がなければ結果は生じない

どんな結果にも必ず原因がありますが、原因だけでは結果となりません。因に縁が合わさって初めて結果になるのです。
奥さんが、こんな男性を好きになってしまうという業を持っていてもそんな男性が周りにいなければ、一緒になって苦しむという結果は起きませんでした。
ところが、因と縁がそろってしまったのです。
奥さんのまわりの女友だちは、こんな男との縁はありましたが、そんな男性を好きになるという業(因)はありませんでしたので、結婚して苦しむという結果は起きなかったのです。

縁を恨んでも、苦しみの縄から抜け出すことはできない

苦しいことやうまくいかないことが起きますと自分自身に目を向けず、環境や条件、関わっている他の人に、その原因を求めます。
この奥さんの場合だと、夫をウラミ、自分が苦しむのはこの夫のせいだと思うでしょう。
しかし、相手を恨んでも、今の苦しみから抜け出すことはできません。
仮に、別れても、自分の内面に目を向けることができなければ、同じような人と出会って同じような苦しみが続くかもしれません。
縁を切ってしまうことも一つの方法でありますが、大事なことは、どうして、そういう人を選んでしまったのかという自分の内面に目を向けていくことが大事です。