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精進:才能よりも努力が成功の要因である
六度万行で、4番目に教えられているのが精進(しょうじん)。精進とは、努力という意味です。
精進料理というのがありますから、肉を食べないのが精進だと思っている人もありますが、精進とは、精一杯、進むと書くように努力するということです。
努力というのは大変苦しいものですが、毎日の練習、訓練、学習のタネマキは蓄積され、必ず結果となって現れます。私達は苦手なことに取り組もうとすると
「自分には才能がないから」・・・
と才能の有無のせいにしてしまいがちですが、最近は才能の科学的な研究もされています。
その研究結果によると、学問でも、芸術でも、スポーツでも世界レベルに達している人には、本人が自覚するしないに関わらず、1万時間のそのことについての練習や努力を費やしていると言われています。
1万時間の壁
天才! 成功する人々の法則(講談社)マルコム・グラッドウェル(著) 勝間 和代(翻訳)
には以下のことが書かれていました。◯一万時間より短い時間で、真に世界的なレベルに達した例を見つけた調査はない。まるで脳がそれだけの時間を必要としているかのようだ。
◯「練習をせずに天才的才能を発揮する人」も、「いくら練習をしても上達しない人」の両者もいなかった。
◯モーツァルトは3歳から練習をはじめ、5歳で作曲した頃には、 既に3500時間以上の負荷をかけた練習をしていた。
◯モーツァルトは6歳から作曲をはじめ、高く評価されたピアノ協奏曲ジュノム(K271)を作曲したのは21歳の頃。モーツァルトは作曲を始めてから傑作を世に送り出すまで20年以上かかっている。
◯不世出の天才モーツァルトでさえ、本来の才能を発揮するのは作曲時間が1万時間を過ぎた後なのだ。 訓練は優れたレベルに達した後ではなく、優れたレベルに達するために行われる。
天才と言われる人たちでも、その才能を表すのに、1万時間の訓練期間があるのです。このことは私達に大きな希望を与えてくれますね。
凡人でも毎日地道な訓練を積み重ねることで、「天才」と花開く可能性があるということです。
千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を練とす
これは剣豪 宮本武蔵が「五輪の書」に記した言葉です。武蔵は言わずと知れた剣の達人です。その武蔵は、
鍛錬の鍛とは千日の稽古
鍛錬の錬とは万日の稽古
を言うのだと言っています。
自分でそのように言ったのですから、武蔵はそれ以上に努力訓練を怠らなかったのでしょう。
これを時間に換算すると毎日、3時間練習すると千日の稽古で3千時間となります。
万日の稽古で、3万時間となります。
「1万時間の壁を突破せよ」と言っていると理解しても間違いではなさそうですね。
鍛・・・3千時間
を突破して
錬・・・3万時間
に突入したときに、それまでの努力が、「才能」となって開眼するのだと言っているのかもしれません。(3時間は私が勝手に仮定したものですが)
成功する人が少ないのは?
このことからも成功する人が少ないのは、才能の有無よりも、一万時間の壁を突破するまで努力を続けることが出来る人が少ないからではないでしょうか。
仏教では精進の反対を懈怠(けたい)といいます。懈怠とはなまけるということです。楽したいという欲の心に流されて、自分の決めたことを投げ出してしまいます。しかも、出来ない原因を才能の有無のせいにしてしまいます。
どんな人も生涯の中で1つは才能を開花させることができる
1万時間というと、とても気がながくなりそうですが、テレビを見たり、ゴロゴロしたり、そういうことにはおそらく1万時間以上の時間を費やしていることでしょう。仮に平均年齢80歳まで生きることが出来たとして、その中で、気持ち一つで1万時間を一つのことにかけることは不可能ではありません。
1日3時間なら10年間です。一つのことをじっくりと取り組んで行けば、どんな人も、達人になることが出来るということです。自分が生涯かけても学び求めることが出来ることを見つけていきましょう。
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