- 自分は運のない人間だと思っている方
- 最近、嫌なことが立て続けに起こっているという方
今回の記事を読めば、悪いことや嫌なことが起こった時の対処法について知ることができます。
YouTubeではもっと詳しく話していますので、ご覧ください。
日々是好日(禅語)の意味
仏教の教えでは、
この日はあらかじめ良いことが起こる日、悪いことが起こる日など
日に良し悪しを立てるという考え方は間違いとされています。
そもそも、日に良し悪しはなく、
「いい日」や「悪い日」というのは決まっていないのです。
どんな日でも、その人の心掛け一つで
素晴らしい日にすることができるし、
素晴らしい日になるのです。
このことを日日是好日(にちにちこれこうにち)と言います。
いい日も悪い日もありません
お経の中に下記のような言葉があります。
如来(にょらい)の法の中に吉日良辰(きちじつりょうしん)を選ぶことなし
どのような意味でしょうか?
「如来」とは、仏様のことを表し、
「吉日良辰」とは、この日はいい日・悪い日、を指します。
つまり、
仏の教えの中に、この日はいい日・悪い日というのはない
と言う意味です。
お釈迦様は、「吉日良辰を選ぶことなし」と言われて、この日はいい日、悪い日ということはまったく決まってないのだよと教えていかれました。
「いい日も悪い日もない」ということを、物事の道理で考えてみると、
きっと納得がいくと思います。
例えば、「今日はいい日」と仮定しましょう。
そうなると、世界中の全ての人々に良いことが起こるのでしょうか?
おそらく、いいことがある人もいれば、悪いことが起こる人もいるはずです。
スポーツの試合をしたら、勝った人と負けた人が必ずいます。
お金を拾ってラッキーと思っている人がいれば、そのお金を落として悲しんでいる人もいるかもしれません。
受験の発表日であったなら、合格した人と不合格の人がいることでしょう。
反対に、「今日は悪い日」と仮定してみましょう。
その日が、受験の日だったら、受験した人全員が不合格になるのでしょうか?
そんなことはないはずです。合格する人も沢山いることと思います。
つまり、元々「いい日」「悪い日」が決まっているのではなく、
その人の日頃の努力や行い、心掛けによって、その人にとって「いい日」にもなり得るし、「悪い日」にもなり得ます。
その人の行いによって変わるのです。
従って、日によって「いい」「悪い」を立てることは間違った判断と言えます。
なぜ悪いことは続くのか?
ただ、悪いことが続くこともあります。
そして、悪いことが立て続けに起こってしまうと、人は「めぐり合わせが悪い」「何かの祟りじゃないだろうか?」と思ってしまっても、無理はありません。
では悪いことが続いた時、どう受け止めたらいいのでしょうか?
悪いことが続くのには、2つの理由があります。
1.悪いことの方が記憶に残りやすい
人間は、仮に「いいこと」と「悪いこと」が2分の1の確率で起きていたとしても、「悪いこと」の方が、記憶に残りやすい生き物なのです。
日々の生活で、「自分は運が悪い」「間が悪いことが多い」「悪いことばかりが続く」と思っている人は、実はそれと同じくらい「いいこと」が起きているのです。
ただ、記憶に残っていないだけ。
せっかく起こった「いいこと」なのに、忘れてしまっているのです。
典型的な例を挙げると、御自身のことを「雨男・雨女」と言っている人がいるとします。
これは、外出時に、雨に降られた記憶の方が強く残っているだけなのです。
現実的に考えて、1年中ずっと雨が降っていることはあり得ません。晴れや曇りの日も必ずあります。
「雨男・雨女」と自負している人も、外出のたびに雨が降っていた、ということはあり得ないのです。
ただ単純に、雨が降っているという本人にとってネガティブな記憶が強く残っているだけなのです。
また反対に、自分は「晴れ男」と自負している人は、外出の時に天気が晴れていたことが強く記憶に残っている人なので、非常にポジティブに、物事を受け止めることができる人とも言えます。
2.確率をうまく認識できない
人間は、確率を直観的に認識することが難しいと言われています。
悪いことが続いていたとしても、確率的に考えると、実はそんなに珍しいことでもないのです。
例えば、コインを投げて表・裏を当てるとしましょう。
表と裏なので、確率は2分の1です。
さて、コインを投げて表と裏はどのように出るでしょうか?
確率が2分の1なので、表も裏もほぼ交互に出るのでしょうか?
私は以前、セミナーを開催したときに、参加者の方々と一緒に、コインを投げて実践してみたことがあります。
実際に投げてみたところ、表が5回以上連続で出た、裏が5回以上連続で出た、全く交互にならなかった、というようなことが、どこの席でも起こっておりました。
確率2分の1だから、ほぼ交互で出ると考えるのは、あくまでも人の直観による錯覚です。
本来、確率というのは1万回くらいコインを投げて初めて、表と裏が半々くらいに出る、確率2分の1に近づいていくのです。
人生においても、起こり得ることが2分の1の確率であったとしても、同じことが続く、例えば「悪いこと」が続くというのは、よくあることなのです。
ところが、直観的には中々わかりにくいことでもあるので、何回も嫌なことが続いてしまうと、
「何かあるのではないか?」
「何かに憑りつかれているのではないか?」
「自分は運の悪い人間」
と思ってしまい、ますます気持ちが落ち込んでいきます。
人生を生きる上で、いいことがあれば、悪いことも必ずあります。
そして「いいこと」・「悪いこと」が、交互に起こることは決してなく、連続で起こることも十分にあり得るということを、よく理解しておくとよいでしょう。
さいごに
先述のように、人間は、悪いことが続くと、そこだけが記憶に残ってしまいやすいので、自分はついていない、運が悪いとネガティブに取ってしまいがちです。
しかし、雨の日もあれば晴れの日もあるように、私たちの人生もいいタイミングに恵まれることもあれば、悪いタイミングが続くこともあります。
悪いタイミングが続いたからといって、自分は運が悪い人間なんだと落ち込まなくてもいいのです。
雨の日は雨の日にできること、晴れの日は晴れの日にできることと、どんなタイミングにもできるタネまきはあります。
日々是好日というように、どんな日も、その人の心がけしだいで好日(素晴らしい日)にすることができるのです。
今回ご紹介した「日々是好日」について詳しく知りたい方は、下記の記事を是非お読みください
日々是好日とはどんな意味なのでしょうか? – 仏教辞典 (bukkyouwakaru.com)
参考サイト:禅語「日々是好日」: 臨済・黄檗 禅の公式サイト (rinnou.net)
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