- すぐにイライラしてしまう方
- 親切にしてあげたのにも関わらず、お礼の言葉がないと執着してしまう方
- ついつい見返りを求めてしまうという方
今回の記事を読めば、心を軽くする方法について知ることができます。
YouTubeではもっと詳しく話していますので、ご覧ください。
執着とは厄介なものです。
どんなに忘れたいことや、考えたくもないことがあったとしても、
ふとした瞬間に、そのことを考えてしまいます。
強く意識したり、思ったりすると執着心が現れるのです。
執着したくてしているのではなく、その人と一緒にいたり、その人のことを考えてしまうと勝手に執着してしまいます。
執着とは、まるで粘着性の強い餅のようです。
執着の心に縛られて、辛い思いをされた方もいらっしゃることでしょう。
今回の記事では、三つの執着を捨てることで、心が軽くなる方法を書いていきたいと思います。
布施の意味
お釈迦様は私たちに、布施(ふせ)を教えてくださりました。
布施とは施(ほどこ)しのことです。
「布」という字は、広い心で
「施」という字は、あたえる
という意味を持っています。
つまり、「広い心で、施しましょう」ということです。
広い心でいると、周りを見渡すことができます。
心が自由に、そして楽になるのです。
逆に心が狭いと、
「俺が!俺が!」「私が!私が!」と、自分だけに執着してしまい
我利我利亡者となってしまいます。
こうなってしまうと、世の中の見え方が狭くなってしまい、孤独になり、苦しくなります。
広い心をもつと選択肢が増える
狭いところに閉じ込められるのと、広いところから眺めるのとでは、
気持ちの余裕も違ってきますし、選べる選択肢も変わります。
ですので、布施というのは広い心で眺めてみると、あたえる余裕が出てきます。
つまり、心の自由度が上がるのです。
人生において、選択肢がないということは非常に苦しいことです。
しかし、広い視点でみると、選択肢は必ずあります。
今、あなたが悩み苦しみ、行き詰まりを感じていたら、それは狭い所に陥っている証拠です。
広い視点でみるように心掛けるだけで、実は選べる選択肢があるということに気付くことでしょう。
選択肢を複数持つということは、人生で余裕をもって生きていく上で、非常に重要なことです。
「布施」というと「施す」という部分が強調されやすいですが、
大切なのは広い心の意味である「布」の方です。
広い心は「布施の精神」を表しているのですね。
3つの執着心
我々は誰かから何かをもらうと、とても嬉しく感じます。
さらに人に与える喜びもあります。
与えることで喜びを分かち合ったり、感謝されたり、相手の喜ぶ顔を見ることがもっと嬉しく感じるのではないでしょうか?
ただ、せっかく広い心で誰かに施そうと思ったとしても、
3つの執着心が起きるとブッダは教えられています。それは、
・施者(せしゃ)
・受者(じゅしゃ)
・施物(せもつ)
の3つの執着です。
施者とは、施しをした主。「私が」と言い換えられます。
受者とは、施しを受けた人。「誰々に」と言い換えられます。
施物とは、施した物。「何々を」と言い換えられます。
誰かに何かを施したり、親切にしたとき、
「私がしてあげた」(施者)
「あなたのためにしてあげた」(受者)
「~~をしてあげた」(施物)
という執着心が出てきてしまうのです。
言わば、親切の請求書です。
相手の為にお金を使ったり、
相手の為に時間を遣ったり、
相手の為に心を遣ったりすると、
そこに対して執着心がでてきて、中々放れてくれません。
これらを3つにまとめると、
私が(施者)、誰々に(受者)、何々を(施物)してあげた、という執着なのです。
こういった気持ちは、人間ならば必ず発生します。
しかし、この気持ちに囚われてしまうと、布施の広い心ではなく、狭い心になってしまいます。
三輪空(寂)の教え
「せっかくやってやったのに」「お礼がない」「お返ししてくれない」「感謝してくれない」と、余計に心が苦しくなったりすることもあります。
ですので与えるのであれば、私が、誰々に、何々をしてあげたという気持ちを、思い切って手放しましょう。
これが仏教の教えにある三輪空(さんりんくう)の教えです。三輪空寂友ともいわれます。
「私が」「誰々に」「何々を」という3つの執着を空ずる(忘れる)ようにしなさいという意味です。
親切の請求書を捨ててしまいましょう。
追いかけると逃げていく、手放すと戻る
とはいえ、理解はできるものの、実践するには勇気のいるものです。
親切の請求書を捨ててしまうと、惜しいという気持ちが出てくることもまた自然なこと。
ですが、そうではありません。
幸せや喜びというのは、追いかけると逃げていき、手放すと戻ってきます。
追いかければ追いかけるほど、相手は逃げていきます。
相手に求めると相手は逃げていく、なんとか手放すまいとすると相手は逃げたくなります。
相手への親切も同様です。
相手に「~してあげた」という気持ちが出てしまうと、相手も引いてしまいます。
逆に、そういった気持ちを手放して相手と接することができれば、やがて戻ってきます。
お釈迦様は、施しへの執着を忘れることで、より福が返ってくるのだと説かれています。
手放すには智慧と勇気が大事です。
智慧と勇気
仏教で説かれる智慧(ちえ)は、多義的な意味がありますが、
ここでは、因果をわきまえて先を見通す力と読み替えることにします。
つまり、智慧ある人は、
追いかけると逃げていき、手放すと戻ってくるという道理を理解し、手放した方が良いのだと判断します。
逆に、智慧がないと近視眼的になり、一度手放してしまうと二度と返ってこないと思ってしまい、余計に執着してしまいます。
まずは、
お釈迦様が「私が誰々に何々をしてあげた、という3つを忘れなさい」と教えらえていることを深く理解すること。
蒔いた種は必ず返るという因果の道理にあるように、手放すと戻ってくるものなのだと御自身の中で納得すると、手放しても損することはない、むしろ手放した方がより幸せになれるのだ、とわかります。
ただ、いざ手放すとなると、なかなか手放すこともできません。
それは、「自分がこれだけしてやったのに」というプライドが邪魔をしているのです。
しかし、それを乗り越えていく勇気が大切です。
智慧を体得して、勇気をもって自分自身の心を乗り越えていってください。
こちらの記事でも三輪空について解説していますので、是非ご覧ください。
親切の請求書は捨ててしまいましょう – 仏教辞典 (bukkyouwakaru.com)
まとめ
いかがでしたしょうか?
言葉や文章で説明するのは簡単です。御理解も頂けたのではと思います。
とはいえ、なかなか実践は難しいかもしれません。
勇気が大切です。
「私が、誰々に、何々を」この3つの執着を手放す勇気をもつと、
皆さんの世界は、もっともっと広く、そして楽になっていくことでしょう。
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