七つの自惚れ

自分とは、もう一人の他人である

自分自身を知ろうとするとき、あたかも、他人を観察するように自分自身を観察します。
自分の生い立ちを、振り返り、自分の言動や心の動きを観察し分析します。だから、自分とは、もう一人の他人であるといった心理学者があるそうですが、自分で自分を探し出すことはできるのでしょうか?
私たちは、「自分自身を見るときにどうしても、よく見たい、悪く見たくない」という欲目がはいります。
欲目というのは言葉をかえればうぬぼれのことです。欲目の色眼鏡を外すことが出来る人はいないと、仏教ではその自惚れを七通りに分けて教えられています。そして、このうぬぼれの心を七通りに分けて教えられています。
これを七慢(しちまん)といわれるのですが

1、慢(まん)
2、過慢(かまん)
3、慢過慢(まんかまん)
4、我慢(がまん)
5、増上慢(ぞうじょうまん)
6、卑下慢(ひげまん)
7、邪慢(じゃまん)

の七つです。
うぬぼれの心を七通りに分けて教えておられるのですから仏教は人間の心をたいへん深く分析された教えであるとわかりますね。

では、この七つのうぬぼれとはどんな心なのでしょうか。解説していきたいと思います。

 

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