施しは生きる力のもととなる
ある時、このことを強く知らされるニュース番組を見ました。そのニュースによると、日本では刑務所を出所した人のなんと四割が、再犯で戻ってくるという深刻な問題があり、アメリカでも同様の問題があるそうです。
そのアメリカでは、刑務所で、囚人たちにあるプログラムを導入したところ、再犯率が劇的に下がりました。プログラム導入後、十五年間、誰も再犯で戻ってこなくなった刑務所もあるそうです。
そのプログラムとは、囚人一人ひとりに犬の面倒を見させて、寝食をともにして世話をさせるというものでした。
殺人や殺人未遂という重い罪を犯した人たちは、自分以外の人や生き物に愛情を注ぐという経験に乏しい人が多いのです。
愛情に恵まれない不幸な家庭環境に生まれたことで、そうならざるをえなかった受刑者もいるのでしょう。
その受刑者たちに、捨て犬や虐待を受けてきた犬、このままでは殺処分されてしまう犬たちの面倒を三カ月間見させます。
そして三カ月後、しつけや行儀が身についた犬は、里親の元に引き取られていくのです。
犬との触れ合いの中で、受刑者たちは思いやりの心を取り戻していきました。
二十二歳のある青年は述懐します。
「ある日、その犬が独房にいた時、僕のことを何ともいえない目で見ていた。どこかで見た目だと思った。それは昔、小さい弟が僕を見つめている目と同じだった」
「僕は殺人未遂でここに入っている、薬にも手を出し、暴力的な人間で、まるで別人のようだった。もう昔の生活には戻らない。悪の道には進まない」
また、十九歳の少年は、このように語っていました。
「俺は自己中心的な人間で、他人にも関心がありませんでした。ところが、犬と接して分かったのは、犬も人間も感情を持っている。相手のことを思いやることが大事だと分かった。この子を素晴らしい犬にすることで、飼う人を幸せにできます」
そして三カ月後、犬との別れがやってきます。犬たちは里親の元へ引き取られていきます。中には、別れの悲しみで泣きだす受刑者もいます。
「自分が飼いたいけれど、この子が幸せになるならうれしいです」
「犬はここに来なければ安楽死させられていた。幸せになってほしい」
涙を浮かべて犬の幸せを願って見送る受刑者たちには、かつての凶悪な面影はありませんでした。
他人のために役に立つことができる人間になりたいと、社会への復帰の意欲をそれぞれに語っていました。
このようなプログラムは現在、日本の刑務所でも導入されている所があります。
「誰かを思いやるという力」は、殺人や殺人未遂という重い罪を犯した荒れ果てた受刑者たちの心を、ガラリと生まれ変わらせたのです。
この囚人たちは犬を助けたのでしょうか?
それとも犬に助けられたのでしょうか?
答えはどちらも正解です。
仏教では、これを自利利他といいます。他人を幸せにすること(利他)で、自分が幸せになる(自利)という意味です。
本当の幸せとは、自分だけが独り占めにするものではありません。相手と自分の間に生まれるものなのです。
思いやり(布施の心)は、自分がまっすぐ生きる力の源になるのですね。
情けは人のためならずということわざがあります。親切(情け)は、巡り巡って自分に返ってくるのだから、相手のためではなく、自分のためになるのだという意味なのです。
親切することがなぜいいことなのか、なかなか、説明するとなると難しいことですね、思いやりや親切は、相手だけでなく、自分を活かす力だとお釈迦様は、教えられているのですね。
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