なぜ欲の心を悪と言われるのか、それは本質が我利我利だから

なぜ欲が悪なのか 我利我利の本質

欲の心が、悪であると仏教で教えられていると言うと欲の心がなければ、生きていけないではないかと言う反論もあるでしょう。
食欲がなければ餓死してしまいます。財欲・名誉欲がなければ、努力向上しようと思わないでしょう。色欲がなければ、人類滅亡です。睡眠欲がなければ、みんな過労死してしまいます。
ですから、欲の心がなぜ、悪なのかという疑問は当然出てきます。

欲の本質は、自分さえ良ければいいという鬼の心

ではなぜ、欲の心を悪と教えられるのかというと、この欲の心の本質は、我利我利だからです。我利我利とは、自分さえ良ければ、他の人はどうなってもいいという冷たい無慈悲な心です。

確かに、私たちの欲の心を見つめて行くと無慈悲な我利我利の心が見えてくるのではないでしょうか。

すべての人の心の中に鬼は棲んでいる

みな人の心の底の奥の院 探して見れば本尊は鬼
という仏教の歌があります。
心の奥に大事に隠されている本尊とは何かを探し当ててみると、それは鬼であったという歌です。

みな、鬼のような無慈悲な心を悟られないように、気付かれないようにしています。余裕があるときは、「お先にどうぞ」と他人に譲ることが出来ても追い詰められると「まず、私が助からないと」と他人を押しのけても自分を優先したいという心が出てきます。

芥川龍之介のクモの糸という小説は、私たちの我利我利の心の姿を現された話です。
カンダタは、自分が助かるために、下からクモの糸にすがって上ってくる沢山の罪人達を振り落としていきましたが、同じような状況に追い詰められても、「自分はそんなことは絶対にしない」といいきれる人はいないのではないでしょうか。

 

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